充実した大学生活だったが就職活動では大苦戦する。
東大を卒業して住友商事に入っていた兄からはこんなアドバイスをもらいました。「仕事をするなら大きな会社がいい。うちのファミリーカンパニーも潰れてしまったじゃないか。この国が潰れても大丈夫な会社に就職すべきだぞ」
広告会社や電力関連の会社を受けました。親戚の伝手(つて)を頼って受験させてもらった大日本印刷では役員面接までこぎ着けたのですが、学生運動について聞かれ「学生運動が激しい大学の学生だからといって就職の門戸を閉ざすのはおかしい」と答えたことなどが災いして不合格になってしまいました。
就職が決まらないまま66年3月、卒業式を迎えます。大学に入りたてのころの「サラリーマン どんと節 気楽な稼業と来たもんだ」が流行していましたが、そのサラリーマンになり損ねてしまった自分がいました。「自分の人生はなんなのか、なぜそこまで辛い出来事があるのか」と天を仰ぐ日々です。
[日経産業新聞2016年3月18日付]
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