名家の暮らし一転、辛い少年期和魂洋才の八分目経営(2)日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏

日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。今回は生い立ちにさかのぼる。

戦前は名家だった。

祖父の時代の明治維新前後から生糸の貿易で栄え、現在の横浜磯子区の港の見える約3000坪(1万平方メートル)の敷地に住んでいました。3階建ての洋館には壁面いっぱいに洋書がある梅渓文庫と名付けた図書館もありました。生糸を英国に輸出した際に帰航船に洋書を積んだのです。名称は祖父が丁稚から勤めていた豪商の原三渓さんの名前と、明治天皇が近くにいらしたときに梅の植樹をされたところから名付けたそうです。

自宅の庭で兄と姉と(手前が本人)

祖父は書生として多くの優秀な若者も住まわせていました。

広大な庭ではチコという名古屋コーチンを飼っていて、そのチコは私を見かけるとチョコチョコとやってきて離れようとはしませんでした。後にフライドチキンの仕事をするようになったのも何かの縁のような気がします。

そんな豊かな生活も敗戦で激変です。農地解放によって敷地が小さくなっていきます。子供ながらにさみしい気持ちになったのを覚えています。

洋館では兄が通うミッションスクールの栄光学園の保護者会なども開かれていました。戦後、ドイツからいらした神父でもある校長先生の膝の上にのっかったり、半円形の帽子を面白がってポンポンたたいたりして、やんちゃでしたね。

日本と同じ敗戦国のドイツからこんな極東の地の日本にいらして学校を創立し、親身になって教育活動をされている姿は不思議な気がしました。栄光の目指す人間像の1つに MEN FOR OTHERS, WITH OTHERS(自分の力を喜んで人々のために生かすことのできる人間)があります。しばらくして自分も栄光にお世話になってわかった気がしました。

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