雪の轍濃く、苦い人間ドラマ

2014年カンヌ映画祭で最高賞を獲得した3時間16分に及ぶ力作である。

舞台は世界遺産に指定されたトルコのカッパドキア。初老の主人公アイドゥンは、その山裾の小さなホテルの経営者だ。元俳優で、新聞にエッセーを寄稿し、資産家として、なに不自由ない生活を送っている。

ある日、アイドゥンの乗った車に石が投げつけられる。犯人は少年だった。少年の一家はアイドゥンの貸し家に住むが、家賃を滞納して財産を没収され、父親は侮辱を受けた。少年の投石はその復讐(ふくしゅう)だった。

それをきっかけとして、アイドゥンの周囲ですべてが揺らぎ始める。離婚して実家のホテルに戻ったアイドゥンの妹は、兄のエッセーを感傷的だと批判する。また、若く美しい妻は夫そっちのけで慈善事業に没頭し、夫の忠告に反発して、離婚すると脅しにかかる。

原案はチェーホフの短編だが、その味わいはチェーホフ以上に濃く、苦い。

静穏で満ち足りた引退生活のうわべがはがれ落ち、人間の耐えがたい孤独が剥きだしになる。人に家を貸す社会的事業は無慈悲に金を搾りとる罪業となり、血のつながった肉親は自分の一番弱い心の裏を見透かす脅威になり、愛する妻はまったく理解不能、愚鈍で頑(かたく)なな他人と化す。美しいカッパドキアのホテルにそんな地獄の口が開く。だが、これは誰にも起こりうる普遍的な人間のドラマだ。

カッパドキアとは「美しい馬の国」を意味する。実際、アイドゥンは野生の駿(しゅん)馬(め)を捕獲して飼っている。そして馬を野に放すが、そんな自由は人間にはない。

人間と人間とが向きあう緊迫した室内の対話劇と、カッパドキアの建築群や雪原など、開かれた外景との対比が見事な効果を上げている。いったん妻のもとを去ったアイドゥンがたどる劇的な紆余曲折(うよきょくせつ)もじつに面白い。ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督。

★★★★

(映画評論家 中条 省平)

[日本経済新聞夕刊2015年6月19日付]

★★★★★ 今年有数の傑作
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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