30歳で米国赴任 日本流の誠意通用せず理詰め派に変身
東洋インキSCホールディングス 高島悟・社長(上)
東洋インキSCホールディングスの高島悟社長
■30歳で米国赴任
東洋インキに入社して半年間の工場研修を経て、海外事業部に配属されました。海外顧客とやりとりしながらインドネシアや当時のソ連などに出張し、充実した日々を送っていました。ただ自分は根っからのアウトドア派で、大学時代に年間140日以上山に籠り、アラスカのデナリ山に40日間かけて登ったほど。もっと現場に出してほしいと、上司に頼んでいました。
30歳の時に米国赴任を打診され、「ぜひお願いします」と即答しました。肩書はセールスマネジャーでしたが、一人で現地取引先を開拓するのが任務です。
ほとんど出社せず、飛行機とレンタカーで客先を転々とし、モーテルで寝泊まりする日々が続きました。電話帳で見込み顧客を見つけては、公衆電話からアポを取り付けました。
■赴任3カ月で胃潰瘍
赴任3カ月は相手の話す英語が理解できず、話したいことも伝えられず、ストレスで胃潰瘍になりました。もがきながらも語学力は徐々に身につき、言動を現地の環境に合わせるうちに、性格も変わりました。米国では理屈を元にイエスノーをはっきり主張しなければならないからです。
米大手化学メーカーと品質を巡るトラブルが生じました。相手は理系の博士4~5人が交渉の席に現れる一方、こちらは文系卒の私のみ。最初は日本流の誠意で乗り切ろうとしましたが、全く通用しません。