架空の戦時に映る現代日本 ぼんやり総動員を描く映画

池田暁監督「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」(C)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
池田暁監督「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」(C)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト

9時~5時の定時勤務で隣町と戦争している町。未婚の中年の住民資格を奪い入隊させる町。架空の戦時体制を描く奇妙な新作映画が相次ぐ。「ぼんやりした総動員体制」に現代日本が映る。

男は毎朝きちんとスーツを着て、背筋を伸ばして、出勤する。受付で名札を裏返し、制服に着替え、準備体操。朝礼で町長が抑揚のない口調であいさつする。

「きょうも向こう岸からの脅威が迫ってきています。どんな脅威かは忘れましたが、みなさん、とにかく頑張りましょう」

9時のサイレンが鳴ると作業開始だ。河原に伏せ、対岸に向けて銃を撃つ。昼食は毎日同じ食堂でとる。5時に全員終業。毎日同じ煮物店で夕食を買う……。

戦争は他人事

池田暁監督「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」(26日公開)は不思議な映画だ。戦争しているのに、何のために、誰と戦っているのかわからない。それでも誰もが無表情に決まった作業を繰り返し、判で押したような日々を過ごしている。

「誰に向かって撃ってるんですか」と新兵が問う。「さあ。とにかく撃てと言われた場所を撃っていれば大丈夫」と男は答える。午前中50発、午後は80発。「それだけ撃っていれば叱られないから」。気づくと隣の同僚が撃たれている。

無関心、事なかれ主義、付和雷同。随所に今の日本が映る。「70数年戦争をしていないし、僕も戦争を他人事のように感じている。でも実際に国境の向こう側では多くの戦争が起きている」と池田。「川の向こうの町が全く見えていない人々に、今の日本人をうっすら感じてもらえればいい」

池田は45歳。時代のキナ臭さについて「ここに戻っちゃいけないという基準がわからない。だから知らず知らずに戻ってしまう怖さは感じる」と語る。同時に「戻っちゃいけない部分を映画は提示できる」とも。

個人が犠牲に

佐々木想監督「鈴木さん」(今冬公開予定)も戦時下と思われる架空の町が舞台。45歳以上の未婚者は住民資格を失う条例ができ、介護施設を営むヨシコは近く町を追われる。未婚の女友達は入隊した。住民は工作員がいないか監視している。そんな時、ヨシコの前に身元不明の男が現れる。

佐々木想監督「鈴木さん」

「5年前に発想した時、独身者に対する圧を感じていた。集団によって個人が犠牲にされている感じがした」と佐々木(42)。各国の強いリーダーが強いアピールを出し、反対者を封じ込めていた。「敵味方を分け、敵に対しては何をやってもよいという雰囲気があった。上の人がやっていることが、下まで降りてきた」

「権力の正体が見えないのに、人々がなんとなく支持している」という空気を佐々木は感じる。この映画の戦争も「本当にしているのか、どうなっているのかわからない。ぼんやりと参加して、ぼんやりとしたまま人が亡くなる。それが利用される。そういうことはあるんじゃないか」。

河合健監督「なんのちゃんの第二次世界大戦」(5月8日公開)は実際の戦争を題材にしながら、架空の町で建設予定の平和記念館を巡る騒動を描く。市長の祖父は戦時中に反戦を訴えたと言われる元教師。彼を顕彰する施設にBC級戦犯の遺族である石材店の家族たちが反対する。戦時下に何があったのか。そんな問いを投げかけるが、主な登場人物は戦後生まれ。行動の根拠は個々に違う。

「わかった風なことはしない。僕らから見る戦争の見え方を作品に落とし込んだ」と31歳の河合。「何があって誰が悪いのかわからないというモヤモヤは、政治がわからないから選挙でなんとなく勝つ方に投票する風潮に通じる。そんな若者の気持ちはわかるが、今は怖さも感じる」と語った。

(編集委員 古賀重樹)

[日本経済新聞夕刊2021年3月23日付]

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