フリーアナウンサー幸坂理加さん 母へ「無理せずに」
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はフリーアナウンサーの幸坂理加さんだ。
――どんなご両親ですか。
「父は木材関係で働いていて、頑固だけれど意志が強い人です。母は天真爛漫(らんまん)で、ちょっと抜けているところがあります。物心つくまでは専業主婦でしたが、今は薬局で働いています」
「特に礼儀に関して、厳しい両親でした。学生のころは、冬は車で学校の送り迎えをしてもらっていたのですが、必ず『迎えに来てください』と連絡をして、車を降りるときは『ありがとうございました』と言わないと怒られていました。『迎えに来て』では迎えに来ないんです。親であっても感謝の気持ちを持ってほしいと」
――子どものころはおとなしかったそうですね。
「アナウンサーになったというと、親戚一同、『あのしゃべんない子が!』とびっくりされます。誰と比べても、何をするにも、行動が遅くてのろまだったんです」
「小学生のとき、無視されたり、ものがなくなっていたり、本格的にいじめられていました。母はやられてもやり返すなという教育で、父はその横から『ちょっとおいで』と私を呼んで、『3回やられたら1回やり返せ』と。修学旅行で泣いて帰ってきたとき、父に『友達に自分の思いを言え』と言われ、みんなの前で『なんで私のことをいじめるの?』と言いました。これがきっかけで、自分の意見を言えるようになり、人前に出るのも怖くなくなりました」
――昨年11月に結婚されました。
「いずれ自分が母になることをイメージすると、母は完璧な母親になろうと頑張っていたのかなと思います。幼いときは一度もさみしい思いをしたことがなく、お弁当も全部手作りで、家も隅々までぴっかぴか。私を預けて旅行するでもなく、自分よりも私を優先してやりたいことをやらせてくれました。まねしたくても、できません」
「無理をさせたかなという思いもあるので、今、当時の母に言葉をかけられるなら、『いいお母さんにならなくていいよ』と言ってあげたいです。今考えれば、勉強も習い事も頑張って、いい娘って思われたいという気持ちが、私自身にも知らない間に生まれていたと思います。私は完璧を目指さず、苦労を見せていきたいですね」
――ご両親はフリーになることに反対されたんですね。
「秋田に応援してくれている人がこんなにいるのに、なんで辞めるんだと、人生最大のけんかをしました。でも、私の人生だからと説得し、最後には分かってくれました。会社を辞め、アナウンサー以外の仕事も考えていたのですが、すぐにラジオ番組のアシスタントが決まると、両親は『あんたは運だけで生きているねぇ』と言っていました。そうなんです、運だけはいいんです(笑)」
[日本経済新聞夕刊2021年1月12日付]
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