がんの専門家でありながら、妻をがんで失い落ち込んだ。

鬱屈した気分で酒ばかり飲んでいたとき、銀座の料理屋のカウンターで登山グループのリーダーと知り合いました。若い頃に剣岳で仲間を失い、毎年、9月に慰霊登山をしているとのこと。大学時代から登山に親しんでいた私も誘われました。以来、3000メートル級の山をいくつも案内していただきました。

ロッククライミングでは、四肢のうち3本で絶対安全な場所を確保し、残る1本で体を上げていく「3点確保」が大切です。この繰り返しで登り切るところに、デカルトの説く真理追究と共通するものを感じます。

登山といえば80年に無酸素、アルパイン・スタイルでエベレストに単独登頂したラインホルト・メスナーもすごい。『ナンガ・パルバート単独行』には肉体的苦痛と精神的な孤独感に押しつぶされそうになりながら登り切り、下りてくる様子が描かれています。これも基本は一つ一つの積み重ねです。

2018年には福岡市の九州がんセンターから札幌市の北海道がんセンターまで全国のがんセンターを約90日で回りました。日本対がん協会の「がんサバイバー・クラブ」の認知度向上が目的です。年齢を考えて周囲に止められましたが、困難なことは一人で始めるという考えで実行し、行く先々で応援してもらいました。用事で東京に戻った際にレベッカ・ソルニットの『ウォークス』を見つけました。自分と同じように、歩くことに哲学的な省察を加えている点にひかれました。

その前には、四国でお遍路もしました。真夏の炎天下、最初は何も考えられなかったのに慣れると思考が体に付いてくるようになりました。歩きながら考えたのは、これからの対がん活動です。受診率向上、サバイバー支援、グリーフケアの拡大、在宅で最期を迎えたい人の希望をかなえる。この4つを今も強い気持ちでめざしています。

(聞き手は編集委員 安藤淳)

[日本経済新聞朝刊2020年11月7日付]

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