自作の賞で本の魅力発信 販売10倍、全国200店に
TSUTAYA中万々店 山中由貴さん
TSUTAYA中万々店の山中由貴さん
高知市の「TSUTAYA中万々(なかまま)店」には名物の文学賞がある。書店員の山中由貴さん(39)が、お客にどうしても読んでほしい本に授与する「山中賞」だ。同店では受賞後に売れ行きが10倍になった。「普通の接客しかできない」とツイッターで語る山中さんは、リアルの書店で良い本に出会う「驚きと感動」にこだわる。
「第3回山中賞はディーリア・オーエンズさんの『ザリガニの鳴くところ』です」。ツイッターに投稿した動画の中で、赤いザリガニの人形にトロフィーが渡された。この7月に発表した山中賞の授与式の一幕だ。
特製の帯も付けて
山中賞は書店員の山中さんが、個人的に読者に薦めたい本に贈っている。芥川賞と直木賞が発表される1月と7月の年2回、受賞作を発表する。動画を使ってSNS(交流サイト)で告知するほか、同店の一角に受賞作の展示コーナーを設置。「山中賞」と印字した特製の帯も付けて販売する。2019年7月に始め、今夏で3回目となる。
販促の効果は大きい。第2回の受賞作である韓国の作家、ソン・ウォンピョン氏の「アーモンド」は店頭に並べてから2カ月で十数冊の売れ行きだった。それが20年1月に山中賞を受けると、その後の1カ月だけで100冊以上を売り上げた。
山中賞の噂は出版社にも届いた。「アーモンド」の出版を手がけた祥伝社が販売数の増加を知り、山中賞の帯を準備して全国の書店に配布した。山中賞は当初、高知県内のカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)系列店でのみ告知していたが、全国約200店に広がった。
山中さんには以前から、自分が読んだ本の感想を記録する「読書ノート」の習慣があった。そのノートを見た同僚に勧められ、書店内に読書ノートを置いて来店客が自由に見られるようにした。
この読書ノートをきっかけに、山中さんは15年から店内で配布する「新聞」の制作を始めた。A3判の紙の両面に本や雑貨、映画などの紹介を載せ、毎月1回発行してきた。ノート、新聞を経て、19年7月に山中賞が誕生した。
自分が読んだ本の感想を記録し、人に伝える原点は大学時代にある。幼少期は本を読むより、絵を書く方が好きだったという山中さん。大学で心理学を専攻し、ミステリー小説を読み解く講義を受けて本の面白さに気づいた。以来、ミステリーを中心に本を読みあさり、卒業論文も作家の分析を題材にした。
山中賞は山中さんが一人で審査している。毎月7~8冊の新刊を読む中で「元気づけられ、もっと読者に広まってほしいと思う本」を選ぶ。審査に悩むことはあまりない。「一読して鳥肌が立つ本を選んでいる」と言う。第1回の受賞作は横山秀夫氏の「ノースライト」だった。
第3回の受賞作「ザリガニの鳴くところ」は、孤独な境遇の少女が大自然のなかで成長していく物語。動物学者である作者が自然の姿を詳細に生き生きと描き出し、知的好奇心をかき立てられる。少女の奮闘に読み手が元気をもらえる点も受賞の理由とした。
動画配信やゲームなどオンラインのコンテンツが勢いを増す一方で、本離れは進んでいる。19年に文化庁が実施した全国調査によると、1カ月の間に本を読まないと答えた人は全体の47%を占めた。「読書量が減っている」という回答も67%に上っている。
実店舗にこだわり
山中さんは自身の名を冠した賞を通じて、リアルの書店で本の魅力を伝えることを目指している。情報発信にSNSなども活用するが、自作の新聞や受賞作品のコーナーはあくまで書店の中での展開にこだわる。来店客が新しい作品を知り、手に取るきっかけを作りたい。そして感動を分かち合いたいと願う。
「ネットで目当ての本を頼むと数日で届く時代。リアル書店の価値は意外な本との出会いにある」と山中さんは力を込める。コロナ禍で巣ごもり消費が広がるなか、山中さんはリアルの売り場の可能性を模索する。
(平岡大輝)
2006年からTSUTAYA中万々店でアルバイト店員として働き、17年から準社員に。「山中賞」をはじめ、手作り新聞の制作などを通じて店舗と本の魅力発信に努めている。高知県出身。