死刑でも自分を崩さない 心に残る『異邦人』の疑う姿勢国境なき医師団日本会長 久留宮隆氏

久留宮隆氏と座右の書・愛読書
久留宮隆氏と座右の書・愛読書
人を突き動かすものに、興味があった。
くるみや・たかし 1984年三重大医学部卒。三重県内での外科勤務を経て、現在は救急を担当。2004年から国境なき医師団に参加。20年3月から現職。

なぜ人はその人生を選択するのか。小学生になり、両親が記念日ごとに買い与えてくれる伝記を通じて考えるようになりました。ヘレン・ケラー、野口英世など、人それぞれの転機がある。中でもシュバイツァー博士の伝記は心に残っています。音楽家、学者としての地位を捨ててアフリカでの医療に従事し人々に愛を届けたという行為だけではなく、彼にその道を選ばせた心の動きに納得したのです。

例えば、体の大きいガキ大将とケンカし相手を押し倒した瞬間、「俺だっておまえみたいに週に2度も肉入りのスープを食べていれば負けるもんか」と言われてショックを受けるエピソード。牧師の子どもとして恵まれている自分の境遇と、そうでない相手の境遇との違いに思いをはせることができる。その感性が彼の人生の原動力になっているという物語は、子供心にもふに落ちました。

1970年代半ば。学生運動への反省がまん延しだした時代の雰囲気の中で、高校生活を迎えた。

うちは普通のサラリーマン家庭で、男3人兄弟。「私立に行かせる余裕はない」と言われて入った地元の公立校は、学生運動の気分を引きずっていました。

ホームルームの時間には先輩が教室に来て「なぜ高校生は制服を押しつけられなければならないのか、おまえらはどう思うんだ」と、何かと議論をふっかけられました。でも一方で、時代は学生運動に懐疑的な空気にもなっていて。そんな頃に出合ったのが『僕って何』です。

主人公は自らの考えが十分に固まらないうちに学生運動に巻き込まれ、行きずりの男に暴力を受ける。最後は過激な運動ではなく、生活の安寧に身を委ねる。僕にも、理想を求めて運動に身を投じる人たちの純粋な気持ちは分からなくもありませんでした。でもそれは本当に自分なりの考えでやっているのか、という疑問にも共感します。

時代ごとに「正しい」と思われている考え方はあります。でも納得できないことについては誘惑を感じても思いとどまり、自分自身に問いかけることが重要だと思うのです。

世間が言っている「正しい」を疑うという意味では、カミュの『異邦人』も心にとどまり続けている1冊です。僕は死刑になってまで、自分を崩さない主人公のまねはできない。でもある意味引かれる部分があります。

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