社会の分断を鮮明に描く コロナ禍でのベネチア映画祭映画ジャーナリスト 林瑞絵氏

金獅子賞のクロエ・ジャオ監督「ノマドランド」
金獅子賞のクロエ・ジャオ監督「ノマドランド」

コロナ禍の中で開かれた第77回ベネチア国際映画祭は米国作品「ノマドランド」が金獅子賞、「スパイの妻」の黒沢清監督が監督賞に輝いた。映画ジャーナリストの林瑞絵氏が報告する。

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見渡す限りマスク人間。もはや映画以上の非日常かと思わされた第77回ベネチア映画祭。コロナ禍における初の大型映画祭の開催にあたり、賞レースのみならず映画祭本体の行方も注目された。だが、蓋を開ければ感染者は一人も報告されることなく、11日間の日程を安堵とともに完走した。

厳格な感染症対策

期間中は厳格な感染症対策がとられた。毎日の検温や鑑賞時のマスク義務化、座席指定制の導入、対人距離を確保した座席の配置など。メイン会場前には高さ2.5メートルの壁が設置された。この「ベルリンの壁」ならぬ「ベネチアの壁」の登場で、一般客はスターが歩くレッドカーペットが見られない。これも“密”を作らせないための予防策だ。

今年は配信系を含めアメリカの大作が揃(そろ)って出品を見送った。その分、正式招待作に50カ国以上の国籍の作品が集まった。コンペ部門にアゼルバイジャン、ボスニア・ヘルツェゴビナの映画が選ばれるなど、多様性はより広がった印象だ。

金獅子賞は中国出身のクロエ・ジャオ監督「ノマドランド」。女性監督の受賞はソフィア・コッポラ以来10年ぶりとなる。家と夫を失った女性(オスカー女優のフランシス・マクドーマンドが好演)が、日雇い労働をしながらキャンピングカーで移動するロードムービー。米西部の雄大な自然を背景に、不況後に現れた新時代のノマド(遊牧民)の姿を追う。貧困状態でも悲壮感はなく、颯爽(さっそう)と生きる60代のヒロイン像が胸を打つ。現在38歳のジャオはマーベル映画の監督にも抜擢(ばってき)された注目株。女性の活躍が目立つ今年のベネチアを象徴する最高賞だ。

監督賞の黒沢清監督「スパイの妻」

審査員大賞はメキシコの鬼才ミシェル・フランコの「ニュー・オーダー」。階級意識が根強いメキシコで富裕層の白人がクーデターの標的となる様子を、暴力描写も辞さぬ緊迫した展開で描き切る。監督は「この映画は警告だ」と語る。

監督賞には日本の名匠、黒沢清監督のサスペンスドラマ「スパイの妻」が選ばれた。太平洋戦争前夜を舞台に、国家機密を握った夫婦の生き様が描かれる。監督と俳優の現地入りは叶(かな)わなかったものの、上映では温かな拍手がわき起こり、作品に対する真の賞賛が伺(うかが)えた。現地ジャーナリストは「このヒッチコック的スリラーは黒沢のキャリアで意外な旋回点。ここ数年の彼の最高作品」(インディワイヤー誌)、「黒沢による戦時下のスパイ物語は上品で没入を誘う」(ヴァラエティ誌)と評した。

「協業と連帯」強調

林瑞絵氏

コンペ作品全体では、戦争や政治的混乱の影響下にある社会の分断が多く描かれた。世界の映画作家は対立の狭間(はざま)で顔を出す人間の非人道性を容赦なく晒(さら)す。また、主要人物が亡くなる作品が妙に多く、ペシミスティックな世界観が漂っていた。

その一方、映画祭そのものはあくまでオプティミストを貫く。現地では映画祭トップのアルベルト・バルベラのかけ声のもと、カンヌ、ベルリンら欧州の主要映画祭のディレクターが集結。映画や映画祭の役割を確認しながら、コロナ禍に喘(あえ)ぐ映画産業をともに支えることで一致した。「今使うべき言葉は競争より協業と連帯だ」(バルベラ)

映画の未来を見据え、果敢に行動を続ける世界最古の映画祭の矜持(きょうじ)を感じた。

[日本経済新聞夕刊2020年9月15日付]

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