佐藤賢一が描くナポレオン 矛盾抱えた英雄の実像迫る
西洋歴史小説の第一人者、佐藤賢一が生誕250年を迎えたナポレオンの生涯に挑んだ。「市民革命を経て生まれた皇帝はどんな人物か」という問いかけから、英雄の等身大の姿をつづる。
長編小説「ナポレオン」(全3巻、集英社)の第1巻「台頭篇(へん)」が8月上旬に刊行された。冒頭では1804年、パリのノートルダム大聖堂で開かれた戴冠式が描かれる。
「ナポレオンは王政が倒れたフランス革命の後に皇帝となった。いわば矛盾を抱えたキャラクターであり、それまでの国王とは違う。冠を教皇に載せてもらうのではなく、自ら戴冠するところに彼らしさが表れると考えた」
挫折から世界観
フランス・コルシカ島の小貴族の次男として生まれたナポレオンは、陸軍幼年学校を経てパリ陸軍士官学校へと進む。コルシカ独立運動の英雄パオリの親衛隊となるが、その能力と意欲が疎まれ、失意の中で故郷を去ることとなる。
「これまでの伝記などではあまり触れられていないが、若い頃はコルシカに強い思いを抱いていた。それが実らなかったことが、フランス一国にこだわらず、ヨーロッパ全体を見渡すような広い視点につながったのではないか」。若き日の挫折が新しい世界観を生んだとみる。
折しもフランスは革命まっただ中。共和国の砲兵指揮官として派遣されると、地中海に面する都市トゥーロンをイギリス・スペイン連合軍から奪回する。その後、イタリア方面軍司令官に就き、数々の戦いに勝利する。
連戦連勝の勢いはアレキサンダー大王やカエサルら古代の英雄譚(たん)を思わせるが、一方でこの小説のナポレオンは人間くさい。それが最もよく表れるのが、1796年に結婚したジョゼフィーヌとの関係だ。夫が妻宛てに熱心に手紙を書いても、なかなか返信が来ない。遠征先に来るように頼んでも、気まぐれのように顔を出すだけだ。
「ジョゼフィーヌに宛てた手紙などがフランスで刊行され、それを読むと彼の心の動きがよく理解できる」。ジョゼフィーヌを「勝利の女神」と信じ、会いたくなったら千里の道も遠しとせずに、戦地から舞い戻る姿からは、英雄も一人の男子にすぎないと身近に感じられる。
スピード感表現
文体で心がけたのはスピード感という。「ナポレオンはとんでもない速度で生きた。それを表現できるのが小説という手法だと思う」。第1巻の第2章でコルシカから追われるが、第3章ではいきなり暑さの中、馬に乗って進軍する場面が描かれる。離脱していた軍隊に復帰した経緯は後から説明される。
発売されたばかりの第2巻「野望篇」では、1799年にブリュメール(共和暦の霧月)の軍事クーデターで、ロベスピエール失脚後に政権を握っていた総裁政府を倒し、共和国執政に就任する。さらに帝政を宣言し、自らは皇帝となり、兄弟をナポリ王、オランダ王に就任させるまでを書いた。タレイラン、フーシェら有力政治家とのやりとりも読みどころだ。
「第一共和政のフランスは内部対立ばかりで何も決まらなかった。ナポレオンはそれを打破しようとした。ただ、野望が大きすぎたこと、自分の力でのしあがってきたはずなのに伝統の力を利用しようとしたことが、失敗を招いたように思う」と分析する。
第3巻「転落篇」は10月上旬の出版予定だ。
15世紀フランスを舞台にした「王妃の離婚」で、31歳のときに直木賞を受賞して20年。「女信長」など日本を舞台とした作品も書いているが、やはりメインとするのは西洋歴史小説。2014年には、単行本12巻の「小説フランス革命」で毎日出版文化賞特別賞を受賞している。
西洋歴史小説というジャンルを開拓してきた自負があるだけに「枠組みをきちんと作らなければいけないという思いは強い。むしろ日本を舞台にした作品の方が、先達がたくさんいらっしゃるので自由に書ける」と打ち明ける。一方で「人間ドラマを楽しみながら、世界をフラットに見る目を養うことができるはずです」とアピールも忘れない。
(編集委員 中野稔)
[日本経済新聞夕刊2019年9月9日付]
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