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私の課長時代

米国で合弁立ち上げ、異文化からサービスのヒント 日立建機社長 平野耕太郎氏(上)

2019/6/11付 日本経済新聞 朝刊

日立建機の鉱山用機械

■1991年、日立建機の平野耕太郎社長(61)は建機の生産現地化のため、米農機大手ジョン・ディアとの合弁工場立ち上げに加わった。

入社11年目に米合弁工場の第1期生として、資材生産管理担当の課長補佐になりました。この頃は生産拠点を海外にも広げ始めた時期。営業が希望でしたが工場勤務となり、顧客と建機の仕様決めや現地の部品調達に奔走しました。

■部下との折衝に苦労した。

ひらの・こうたろう 81年(昭56年)中大法卒、日立建機入社。13年生産・調達本部副本部長、14年執行役、16年執行役常務。17年4月から現職。東京都出身。

一番文化の違いを感じたのは米国人部下との折衝です。仕事のやり方が非常にラフでも権利を主張します。例えば、パソコンの計算シートの入力でもボルトの数が100個単位で合わず、チェックを促しても「誤差の範囲だ」と譲りません。書類の提出期限も守らないため人事評価を厳しめにつけると、米国人の人事部長に「ミスターヒラノの英語の指示がわかりにくかった」と抗議するのです。

1年かけて身の潔白を証明しました。紙での指示は全てコピーやメールで保存。1年後、同じ部下から再びクレームを受けた時、人事部長に証拠を提示。するとその従業員は態度を変え、その場で求人募集をみて電話をかけ始めました。主張する相手にどう対処するか、考えさせられました。

ある時部品の棚卸しをしていると、毎回発注数より多いことに気づきました。取引先に聞くと検品ではねられる部品が出てしまうため、多めに納品しているとのこと。「足りないよりいいじゃないか」と返されます。きちんと許容範囲に収まる日本製の部品は定期検査後にそのまま使えますが、海外では初期の品質がまちまちで、品質を保つには抜き打ち検査が必要だと痛感しました。

■米国のサービスにヒントを見いだす。

合弁工場には油圧ショベルの故障相談などを受けるサービス担当がいました。米国本土からハワイまで時差のある地域の保守を全て請け負い、状況に応じて故障もオペレーターが即時に判断します。

日本では品質が高いが故に、故障のクレーム対応に対し後手に回りがちでした。初期不良が多くてもしっかりしたアフターサービスで満足度を高めるのは、日本になかったスタイルです。家で買った車や冷蔵庫もすぐ壊れましたがすぐ直してもらえました。今、力を入れているサービス事業は、当時の経験がヒントになっています。

娘が生まれた日の夜、病院に居合わせた見ず知らずの女性が近づいてきて「このお嬢さんは未来の大統領候補ね」とほほ笑んでくれました。「これがアメリカ人の器の大きさか」と感じましたね。

あのころ
為替の円高を背景に、1980年代後半には多くの日本企業が工場の海外移転を進めた。日本のものづくりに対する評価は高く、外資企業から提携や合弁の誘いも多かった。日立建機は米ジョン・ディアとの合弁のほか、88年には欧州で伊フィアットと合弁で工場を稼働した。

[日本経済新聞朝刊 2019年6月11日付]

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