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私の課長時代

人事・昇級制度を手づくり 若手の悩みをすくい上げる 三菱地所社長 吉田淳一氏(下)

2019/3/26付 日本経済新聞 朝刊

「おかしい」を原動力に仕事の進め方や制度を変えていった(中央が本人、旧丸ビル前で)

■39歳で異動した人事部門の業務に長く携わることになる。

グループの給与計算や研修、福利厚生など人事業務を担う子会社メック・ヒューマンリソース(東京・千代田)の立ち上げにチームリーダーとして注力しました。当時は採用を絞っていて、部内の若手も管理業務より街づくりに近い仕事をやりたい人が多い。業務を専門人材に任せた方がうまくいくと考えました。

子会社設立のタイムリミットは1年足らずだったのですが、1999年にできました。設立後、補助など過大な要望をメック社に断られ、人事に駆け込む社員もいました。「メック社の答えが人事の答えだ」と毅然と対応しました。

■人事制度の改革にも奔走した。

業績が伸び悩むなか、「人件費の総額コントロール」を役員に命じられました。人件費削減ありきではなく、やる気が出る制度を作ろうと思い、チームのメンバーと土日も出勤して仕上げました。

年功序列を「昇給は能力主義、ボーナスは成果主義」に改めました。「能力を高めないと成果は上がらず、成果は能力の証左」と考え、2つの主義を組み合わせたのです。

人件費も試算しましたが、翌年の昇格率は簡単に出せても5年後は個々にばらけていくので難しい。数字に強い社員の力を借り、社員番号で機械的に昇格期を分け試算しました。

同時に、若い時に不当に厳しい評価を受けると、その後に成果を上げても給与に差がついたままになる制度も改めました。同じ資格に同時期に昇格すれば基本給のスタートラインは同じになるようにしました。

制度改革はコンサルタントを使えば早くできます。でも当社の実情を知らない外部の人に任せるのは嫌でした。自分たちで作れば、制度の実効性が高まると考えました。

■全社員を対象に、人事部門が面談を受ける制度も作った。

昔のように酒席を交えて悩みを打ち明ける場面も減り、心の問題で休む社員が増えました。我々6~7人で手分けして、上司に言いづらい若手社員の悩みなどをすくい上げました。本人の了解がなければ、名前は所属長にも伝えないようにしました。

私は楽観的で好きな言葉は「雲の上はいつも晴れ」。おかしいと思ったことを仕事の原動力にしました。改革に終わりはありませんが、家族的な雰囲気を大事にする社風は今後も大切にしていきたいです。

あのころ
1995年に発生した阪神大震災を受けて、老朽ビルの再開発機運が高まった。丸の内地区では2002年の丸の内ビルディングの建て替え開業を機に、商業施設も充実。家族連れなど新たなにぎわいが生まれた。「丸の内」ブランドが復権した。

[日本経済新聞朝刊 2019年3月26日付]

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