大学巡りにインスタ映え はとバス、世相映した70年
東京周辺を起点に名所を回って観光する「はとバス」(東京・大田)。誕生から今年で70年、利用者は延べ5千万人を超えた。時代とともに、人気のツアーは移り変わる。世相を映すツアーの変遷を探った。
「ゴゴーッ」。ごう音とともに勢いよく水が流れ落ち、水しぶきが舞い上がる。「迫力半端ねぇ」「涼しい」と歓声が上がった。宮ケ瀬ダムの観光放流を楽しむ見物客の中に、はとバスのツアー客の姿があった。
彼らが参加したのは「新東名ただいま建設中! 未開通道路見学と宮ケ瀬ダム観光放流コース」。工事現場や巨大構造物などを見物する、いわゆる「インフラツアー」だ。目玉は、神奈川県内で建設中の新東名高速道路の工事現場を見学できること。一般の人が工事現場を間近で見る機会はめったにない。
8月下旬のツアーには平日にもかかわらず18人が参加した。ダム見学の後は新東名の工事現場へ。開通していない未舗装の高速道路の上を歩いた。コンクリート打ちっ放しの真っ白な道が続く。他人ができない体験に、ちょっぴり優越感を覚えた。さいたま市から来た公務員の男性(38)は「開通したら歩けなくなる新東名を完成前に歩けてうれしい」と興奮気味に話す。
インフラは人気のツアーだ。隣接するホテルから新国立競技場の建設現場を見たり、はとバスの整備工場を見学したり。営業企画部長の石川祐成さんは「今しか見られない希少性が受けているのではないか」とみる。観光ニーズが多様化した現代の世相を表す現象なのかもしれない。
はとバスは1948年、前身の新日本観光が設立され、翌年からバス事業を開始。意外にも初仕事は元旦に成田山への初詣客を運ぶ貸し切りバス事業だった。同年3月に定期観光バスの第1号となる「都内半日コース」の運行がスタート。上野駅を起点に上野公園や皇居前、浅草観音などを3時間半で回った。
その後も時代を先取りするコースが次々と生まれた。復興でネオン街に明かりがともり始めた51年には、夜の定期観光が誕生。日劇ミュージックホールやおいらんショーなどが人気を呼んだ。朝鮮戦争後に外国人が急増すると、英語のガイド付きコースが運行され、好評を博した。
さらに団塊世代が受験生になった65年には東大や早慶などの私大を回る大学めぐりコース、電子計算機が話題になった70年には企業のシステムやショールームを見学するコンピューターコースが登場。はとバスは東京観光の代名詞になった。
ところで、はとバスという名前はどこからきたのか。平和な世界が訪れるようにとの思いから、平和の象徴であるハトの名を付けたという。ハトは帰巣本能が強く、元の場所へ帰る習性がある。はとバスも必ず元の場所へ戻るので、ハトの姿と重ね合わせて命名したようだ。
最近の世相を映した人気のコースが「インスタ映えツアー」。SNS(交流サイト)で話題になった絶景スポットを見る。9月初め、南房総の景勝地を巡るツアーに参加してみた。平日だったが、27人が参加する盛況ぶりだった。
最初に訪れたのは房総半島中央部にある濃溝(のうみぞ)の滝。滝の近くにある岩の洞窟に光が差し込む光景は神秘的だ。数年前にインスタグラム(画像共有サイト)に投稿され、人気に火が付いた。女友達と参加した横浜市の男子学生(22)は「洞窟は幻想的できれいだった。いい写真がいっぱい撮れた」と話す。
観光バス事情に詳しい編集者の加藤佳一さんは「バスに乗ると目線が高くなり、いつもと違う景色を楽しめる。ふだん見られない場所へ行けるのもバスツアーの利点。1人でも参加できるので、単身者が多い今の時代に合っている」とバス人気を分析する。
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黄色の車体 間違えにくく
車両も変遷した。事業を始めた49年はGHQ(連合国軍総司令部)の石油統制下にあり、ガソリン車を天然ガス車に改造。ボンベ1本で約40キロしか走れず、予備を積みガス欠に備えた。
はとバスといえば黄色。だが戦前、都内のバスは緑色で「青バス」と呼ばれていた。なぜ黄色を選んだのか。遠くからでも見つけやすく、客が間違えないよう目立つ色にしたという。
現在の主流は座席が中2階の高さにあり、眺めがいい「スーパーハイデッカー」。09年には2階建てのオープンバスが登場。東京タワーなどを間近に見ることができ、外国人にも人気だ。
(高橋敬治)
[NIKKEIプラス1 2018年9月22日付]
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