出世ナビ

私の課長時代

DDI増資、稲盛氏動かす プレゼン資料たった1枚 大和証券社長 中田誠司氏(上)

2018/9/11付 日本経済新聞 朝刊

DDIの公募増資では創業者の稲盛和夫氏(右)の元に何度もプレゼンに通った

■1983年大和証券入社、日比谷支店配属。

 支店では3年上に現大和総研社長の草木頼幸さん、2年下に現大和証券副社長の松井敏浩さんがいました。当時は日本株が主力商品で、営業目標も厳しかったですね。憂さ晴らしに新橋でよく飲みました。

 私は株価を理論的に分析するのが好きでした。時代はバブルの前でしたが、株価収益率(PER)などからみて、明らかに割高と思う銘柄もありました。

 85年のことです。私は顧客に薬品株の信用取引での売りを勧めました。ところが株価は上昇し続け、結果として顧客に大損させてしまいました。

■87年の米国発世界同時株安(ブラックマンデー)でも冷や汗。

 当時、個人への外国株販売が始まったばかりで、支店でも注文が取れません。変に男気を出した私は、支店に割り振られたIBM株を「全て任せてください」と、顧客に売り切った翌日がブラックマンデーでした。真っ暗になりました。

■90年事業法人部門に異動。94年課長に。

なかた・せいじ 83年(昭58年)早大政経卒、大和証券入社。09年大和証券グループ本社取締役、16年副社長。17年から現職。東京都出身。

 印象的なのは94年11月の第二電電、DDI(現KDDI)の公募増資です。バブルが崩壊し、株式相場は低迷していました。環境が悪い中、500億円もの大型案件は嵐の中に船を出すようなものだと、周囲に言われました。

 創業者の稲盛和夫さんの元に何度も足を運びました。プレゼンテーションの資料は1枚にまとめました。上司は「たったこれだけか」とあきれていましたが、稲盛さんは、わずか1枚の資料を長い間、手にとって、「相場環境が悪くても、良い銘柄なら売れることを示そうじゃないか」。自分の手柄や手数料はどうでもいい。とにかく担当企業の役に立ちたい。この気持ちを忘れなければ必ず相手に響くはずです。

出世ナビ新着記事

ALL CHANNEL