映画『菊とギロチン』 閉塞を突破する生の軌跡

24歳の石川啄木が「時代閉塞の現状」を書いたのは明治43年(1910年)。国家権力によって青年たちの未来が圧殺されていると事実を述べたが、朝日新聞への掲載は拒否された。

東京・新宿のテアトル新宿ほかで公開(C)2018「菊とギロチン」合同製作舎

本作『菊とギロチン』の物語は、その13年後(大正12年)に開幕する。閉塞させられた時代の壁に体当たりする青年と女性たちを描きだし、大正末期のデモクラシーの断末魔ともいうべき状況を物語る。まさに今に通じる力作だ。

時は関東大震災の直後。20代半ばの中濱鐵(なかはまてつ)(東出昌大)と古田大次郎らは「ギロチン社」を結成し、平等な社会をめざして権力者と富裕階級への攻撃を志す。経済人から金を脅しとり、憲兵・甘粕正彦に虐殺されたアナキスト大杉栄の仇(かたき)をとるため甘粕の幼い弟を襲撃し、金銭を略奪しようと銀行員を殺害するが、結局放蕩(ほうとう)に金を使い、千葉の港町に逃げこみ、潜伏する。

そこで中濱と古田は女相撲の興行一座と出会い、真剣に体をぶつけあう女たちに魅せられる。女力士のなかでも、農家の夫の暴力から逃げて、ひたすら強くなりたいと願う花菊と、元遊女の朝鮮人で、大震災で日本人に殺されかかった十勝川は、中濱や古田と心に通じあうものを感じる。

だが、官憲は、反逆者を容赦なく追いつめ、女相撲の興行にも圧力を加える。中濱を逮捕された古田は爆弾闘争に向かうが……。

登場人物の切迫した鼓動に呼応するように、手持ちカメラがぐらぐら揺れながら彼らを追う。男の行動は行き当たりばったりで、女の動きにはぶれがない。どちらも、閉塞した時代を突破しようとする、ほかに選択肢のない生の軌跡なのだ。その絡みあいを描く分厚い群像劇である。戦争に向かう時代は彼らを押しつぶしたが、その戦争こそが真の破滅だった。本作はそのくり返しに真摯な警告を突きつける。瀬々敬久監督。3時間9分。

★★★★

(映画評論家 中条省平)

[日本経済新聞夕刊2018年7月6日付]

★★★★★ 今年有数の傑作
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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