「心身症の一歩手前」 目標達せず、非難の矢面に
古河電工社長 小林敬一氏(上)
写真はイメージ=PIXTA
大学でアメリカンフットボールに夢中だった古河電気工業の小林敬一社長(58)と、銅との出会いは偶然から始まった。
セラミックや原子炉材料のメーカーに就職しようと思っていたのですが、凝固学の研究室で見た溶けた銅の美しさに心を奪われたのがきっかけでした。
初任地の日光事業所では、常に同じ品質の銅製品を製造できるように条件づくりをするのが仕事でした。同事業所は厳しい指導で有名で、先輩は加熱中の銅の色を見て温度を推測するのですが、当時は「見て覚えろ」の時代。試行錯誤の日々でした。
1993年1月、半導体組み立て用材料を作る溶解炉が爆発しました。そこで大阪にあった類似の溶解炉を思い出し、同じ材料を作れるよう改造しました。
ところが大阪で製造した全てが不良品と判定されたのです。全ての検査工程を確認せず、必要だと思われるところだけで検査を済ませていたのが原因でした。不良品は100トン以上に達しました。自分の詰めの甘さに悔しくて泣きました。
■入社12年目で製造課長に就任。部下は年上ばかりだった。
こばやし・けいいち 1985年(昭和60年)早大院理工修了、古河電気工業入社。2015年取締役兼執行役員常務。17年から現職。北海道出身。
銅を熱で溶かし、鋳型に流し込む鋳造工程の担当でした。安全で低コストかつタイムリーに生産することだけを考えました。しかし、上流・中流・下流と各工程の考えがバラバラだったため、生産が滞ってしまいました。
そこで3つある工程を1つにする組織改革で素材課長に就いたのですが、課を1つにしても合意形成には苦心しました。製造部長には「今月も目標の生産量を下回ったのはおまえの責任だ」と責められ、ストレスはピークに。医者からは「心身症の一歩手前です」と診断されました。