エラリー・クイーン 推理の芸術 フランシス・M・ネヴィンズ著
危うい分業関係と米大衆文化
「読者への挑戦」で名高いアメリカの本格推理作家エラリー・クイーンは、ユダヤ系移民の子としてブルックリンで生まれた従兄弟(いとこ)、マンフレッド・リー(1905~71年)とフレデリック・ダネイ(05~82年)の合作ペンネーム。広告宣伝業に携わっていた20代前半の2人は仕事の合間に『ローマ帽子の謎』を共同執筆し、世界恐慌が起こった年に「覆面作家」としてデビューした。読者が覚えやすいよう作者とシリーズ名探偵を同名にするという妙案は、やがて彼らの人生を支配する「フランケンシュタインの怪物」を生み出すことになる。
本書は2人の作者と被造物である「クイーン」の足跡をたどった評伝で、ダネイの存命中に発表された『エラリイ・クイーンの世界』を大幅に増補した決定版。前著は作品の読解が中心の作家論だったが、この増補版では作者のプライベートな側面が重視され、金銭事情やメディア社会学的な視点も加わって、より複雑で視野の広い本に生まれ変わった。クイーンという名のモンスターに関わり、その魔力に取りつかれた人々(著者のネヴィンズも含む)の群像劇でもあり、どの章にも20世紀アメリカ大衆文化の光と影が生々しく刻みつけられている。
40年以上にわたるクイーンの活動は小説だけでなく、自らの名を冠した雑誌《EQMM》の編集や、ラジオ・映画・TVへの進出など広範囲に及ぶ。中でも39年から48年にかけて全米で人気を博したラジオドラマに関する記述は示唆に富み、『災厄の町』『九尾の猫』など傑作を連発した40~50年代の成熟と60年代の迷走の根が、いずれもこのラジオ期にあることがわかる。また長年の議論の的だった代作者問題や、60年代に量産されたペーパーバック・オリジナルの内幕が公にされたことは、ミステリ読者にとって大きな意味を持つはずだ。
ダネイとリーは「合作方法の秘密」というクイーン最大の謎を最後まで明かさなかった。ネヴィンズは関係者の証言や書簡等からこの秘密に迫り、ある程度の役割分担まで突き止めているが、核心部分は藪の中だ。愛憎半ばするダネイとリーの危うい分業関係は、彼らの精神的息子というべき評論家アントニー・バウチャーが2人の間で引き裂かれていく姿からもうかがえる。これほど性格も文学観も異なるライバル同士が、壮絶な議論と衝突の果てにあれだけの傑作群を生み出せたのは、奇跡としか言いようがない。
(作家 法月 綸太郎)
[日本経済新聞朝刊2017年2月5日付]
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