ヤマンタカ 夢枕獏著
活劇と哲学 虚無的剣士に迫る
いやあ面白い。わくわくして読んだ。テンポのいい語り、鮮烈なアクション、颯爽(さっそう)たるキャラクターたちの競演で物語が躍動するからたまらないのだ。
本書は、一九一三年から四一年まで各紙に連載された未完の時代小説『大菩薩峠』の新伝である。虚無的な剣士・机竜之助の長大な物語は日本の大衆小説の礎を築いたが、夢枕獏はそれを大胆に書き直している。
物語はまず、大男が暗闇の中で辻斬りの出現を待つ場面から始まる。正体を掴(つか)みたいと思ったからだが、いざ相手をすると刀が折れ、逃げることにする。自分の名前は土方歳三、これから侍になる者だと伝えながら。
一方大菩薩峠で、深編笠の武士(机竜之助)が老人を辻斬りにする。現場に居合わせた七兵衛は土方家に出入りする薬売りで、辻斬りたちの探索に励み、土方は四年に一度開かれる奉納試合の腕試しの犯行ではないかと考える。土方は試合に出場するため天然理心流に入門する。
原典はちくま文庫版で二十巻だが、後書きによれば、夢枕獏は第一巻の五十五頁(ページ)までの挿話が"一番面白い"という。つまり奉納試合で机竜之助と宇津木文之丞が闘うまでで、"ここまでを一本の長編小説"にまとめた。つまり借りているのは五十五頁までの設定だけで、あとは完全な創作。
そもそも土方歳三は第一巻のラスト、江戸で机竜之助と出会うことになっているが、早々と二人を会わせて闘いの構図を決めるし、本書では机竜之助以上の主役だ。原典では机竜之助の父・机弾正は寝たきりだが、本書では頑健で竜之助と闘いをする。亡き母親の秘密も浮かびあがらせて机竜之助という存在に迫る。柴田錬三郎の眠狂四郎ものをはじめとして日本の時代小説の主人公たちに多大な影響を与えた虚無的ヒーローとは何なのかを、「己は何者か」と問う土方歳三の生き方と絡めて掘り下げていく。しかも迫真の剣戟(けんげき)を次々と繰り出しながら!
作者は後書きでスタジオジブリ鈴木敏夫の名言「机竜之助は民衆である」を引いている。亡き母の悲劇を作り出して、机竜之助=凶暴さを秘めた沈黙の民のエネルギーを象徴化しているともみられるが、その解釈は後でいい。まず小説に身を浸すことだ。文章はどこまでもリズミカルで、ときに詩的に流れながらも同時に即物的で蛮勇にみち、ときに生き生きと哲学的にも振れて、読者に思索を促す。颯爽と力強く、劇的で鮮やかな活劇小説。"おもしろいぞ、この本は。腰をぬかすなよ"という夢枕獏の自信も納得の傑作だ。
(文芸評論家 池上 冬樹)
[日本経済新聞朝刊2017年1月29日付]
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