森絵都の五年ぶりの長編は、昭和三十年代から現在にいたる塾業界を舞台にした、親子三代の物語だ。塾に通ったことのある人なら、自分の経験に引きつけて、興味深く読むことができるだろう。
昭和三十六年の千葉県。小学校の用務員の傍ら、生徒たちに勉強を無償で教えていた大島吾郎は、赤坂千明という女性に見込まれる。家庭教師をしている千明は、吾郎の学校に通う蕗子を、女手ひとつで育てていた。強引な彼女に押し切られるように結婚した吾郎は、一緒に塾を立ち上げる。巧みに生徒を教える吾郎と、苛烈な意思を持つ千明は、高度経済成長を背景に、塾を発展させていく。私生活では、蕗子が吾郎に懐き、さらに蘭(らん)と菜々美という娘も得た。
しかし、補習塾にこだわる吾郎と、進学塾に転身しようとする千明の不協和音が高まり、ついに吾郎は家族のもとを去っていったのである。吾郎が消えてからも、バラバラの性格の三人娘を育てながら、塾を拡大していく千明。だがその先には、幾つもの困難が待ち構えていたのだった。
優しい性格で、教師としても優秀だが、どこか危なっかしいところのある吾郎。己の信念に熱中して、周囲を顧みることのできない千明。最初は吾郎の、次いで千明の視点で、ストーリーを進行させながら、作者は夫婦の人生を活写していく。彼らの三人の娘の曲折に富んだ生き方も面白く、重厚な読み味を堪能できるのだ。
さらに後半になると、視点人物が千明から、孫の一郎に交代。就職もままならなかった彼が、なりゆきで子供の勉強を見たことから、新たな教育の場所を作っていく。さまざまな理由で塾に通えない子供を助けようと、試行錯誤を重ねる一郎。そんな彼の願いが、子供たちに届くシーンは感動的だ。教育とは何か。誰のためのものなのか。深く考えさせられてしまうのである。
さらに塾の経営や、学校教育の変遷を通じて、戦後日本の教育の実像が浮かび上がってくるところも、本書の読みどころであろう。偏差値制度やゆとり教育など、時代によって政府の方針は変化し、塾も変わっていく。そう、教育に完成はないのだ。
でも、だからこそ吾郎や千明は理想を目指した。彼らの三人の娘も、それぞれの道を歩んだ。孫の一郎は、現代で求められる、新たな教育の形を示した。大島家の三代にわたる奮闘に、強く心が震える。これは教育に人生を懸けた、気高き人々の物語なのだ。
(文芸評論家 細谷 正充)
[日本経済新聞朝刊2016年10月16日付]