「お守り博物館」、熱く祈願 初穂料200万円以上奉納
デザイナー、林直岳
僕は「オマモニア(お守りマニア)」である。全国の神社に足を運び、20年以上かけて約3000体を集めてきた。
僕にとって神社を参拝することはロックフェスに行く感覚に近い。とても気持ちが高ぶるのだ。入場ゲートとしての鳥居をくぐり、セキュリティーに目を光らせるこま犬を横目にいざ場内へ。照明としての灯籠がメーンステージの本殿へと誘い、プロデューサーとしての宮司さんや運営アシスタントの巫女(みこ)さんが迎え入れてくれる。
アーティスト=御祭神へのメッセージは絵馬に託し、アーティストからの助言をおみくじから受け取る。そしてお守り。これは、熱い思いが込められたアルバムなのだ。
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仕事のストレスから
本業はデザイナー。あるアートディレクターの事務所で働いていた1990年代。デザイナーはアーティストだと思っていたのに、顧客の要望を聞きながら形や色をデザインしていく地味な作業をこなす中で、好きなものを作れないストレスや窮屈さを感じていた。
そんなとき、友人と同じ悩みを抱えるクリエイターのための神社を建てたらおもしろいのではないかという話になった。心のよりどころとなり、心を解放できる場所にできないかと。僕はお守りやおみくじなど縁起物を担当することになり、マーケティングとして様々な神社に足を運んだ。
早々に出合ったのが埼玉県東松山市箭弓町にある團十郎稲荷社の「十八番守」。樫(かし)の葉をかたどったもので、中に収まる内符は白紙に包まれていた。さらに、その中に実物の樫の葉が納められており、台紙には神璽(しんじ)(神社の祭神の御印)が押されている凝りよう。
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アートとの融合
そもそもこの神社は歌舞伎俳優の七代目市川団十郎が狐(きつね)物「葛の葉」を演じるにあたり、狐のしぐさの難しさから稲荷大神に心願し、江戸柳盛座で見事に演じて大盛況のうちに興行を終えられたことに感得しほこらを建立したと言われる。来歴を形にし、独自性のあるものに仕立てていることに驚いた。しっかりした物語があるのだ。
こうして神社に足を運んではお守りを拝受し、袋の形状や中の内符(本来は開けない方が良い)を確認し、その背景を知れば知るほど、お守りそのものの魅力に引き込まれていった。1体、1体、また1体と数は増え、集めることに魅力を感じるようになっていった。
ただ全国の神社を参詣するとなると時間もお金もかかる。仕事も忙しくお金もなかった20代が過ぎ、余裕が出てきた30代になって本格的に収集を始めた。休暇となれば地図で神社の場所を確認し効率よく移動する手順を計画、レンタカーで社務所の開いている朝から夕方までぐるぐる回る。出張があれば、前日や翌日に時間を都合した。
収集したお守りを一般の人に初めて披露したのは2012年。東日本大震災の復興イベントとして仙台で開いた「大おまもり展」だ。企画書に忍ばせたまさかの提案が通り、約1000体を展示した。これを機に、お守りに関する仕事が舞い込むようになってきた。
本職の神職者からの講演依頼もその一つ。はたから見ると、お守り収集は「罰当たりなこと」とみられがち。しかし神職者と常に交流を持ち、お守りに対する思いを伝えると「若い神職者向けに話してほしい」と依頼され、14年には「御守りとアートの融合」というテーマで講演をした。
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ウェブサイトを運営
15年には川崎市の新築マンションの完成に際し、施主さんからこの仕事に携わった関係者に感謝の気持ちを伝えるものとしてオリジナルお守り(この地のご神木を内符とした)を企画し、デザインも手がけた。若い人にも関心を持ってほしい、神社に足を運んでほしいとの思いから「オマコレ・コム」と題したサイトも運営している。
現在49歳。全国を回り、お守りの初穂料だけで軽く200万円以上を奉納。「いい歳をして」と思われるかもしれないが、好きなことを突き詰めるのが自分の生き方。すべては最終目標である「お守り博物館」を造り、日本独自の世界観をもつお守りを世界に広めるため。単なる収集家ではなくマニアとしての自負を抱くゆえんだ。
(はやし・なおたけ=デザイナー)
[日本経済新聞朝刊2016年10月6日付]
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