アナログ映像機器の触感 Vカメラなど収集し博物館
山本敏、登別映像機材博物館館主
温泉で有名な北海道登別市の玄関口であるJR登別駅。そこから徒歩2、3分の場所に古びた建物がある。もともとはパチンコ店で閉店後はしばらく空き店舗だったが、私が昨年借り受け、アナログのフィルムカメラ、ビデオカメラなどを集めた「登別映像機材博物館」を開設した。
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全て現在も使用可能
NHKなどのテレビ局であれば昔の大掛かりな機器も残っているが、私が集めているのは地方や町場の撮影プロダクションなどの現場で日常的に使われていた映像機器だ。それもすべて使用可能な状態にある。30年以上地道に機器を集めてきた成果だ。
高校まで登別で過ごし、東京でカメラ助手を経験後は道内のプロダクションでカメラマンになった。当初はフィルムカメラによる撮影もあったが、70年代半ばからはビデオカメラになり、テレビのドキュメンタリーやCMの制作に携わった。
幸い、マニュアル調整してVTRやカメラを動かす基礎を学べた。電源を入れれば使えるわけではなく、少々の振動で調整をやり直すなど、まるで生き物を扱うようだった。ただ、この業界には技術革新の波がたびたび押し寄せ、数年たつとそれまで使っていた機器が廃棄物になることも多かった。今のうちに使い古しの機器を集め、いずれは貴重な文化遺産として展示できないか。そんな夢を抱きながら、80年ごろから収集を始めた。
収集対象にしたのは戦前から使われたフィルムカメラやその後に登場したビデオカメラ、VTRや、映写機など、映像を再生・編集する機器だ。フィルムカメラはドイツ製や米国製、ビデオカメラは主に日本製が多く、特にフィルムカメラは8ミリ、16ミリ、35ミリと種類も様々だ。特に独アリフレックス社製フィルムカメラや、80年代から使われているソニーのポータブルVTRは保存状態もよく、価値ある機材だ。
私は道内のプロダクションや仕事仲間に声をかけ、使われなくなった機器を集め、札幌の自宅に収集用の倉庫を設けた。基本的に現役を退いた機器なので皆さんは割と協力的だった。
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地デジ化で新機種に
映像機器の世界にとって最も革命的な出来事と言えば、地上デジタル放送の開始だった。アナログからの完全移行が完了した11年までに大半の映像機器が新機種に取って代わられ、テープやフィルムはデジタルメディアになった。映像機器自体はもちろん、業界の職人気質の人々で離職を余儀なくされた人もいた。
私はこの厳しい現実に一抹の寂しさを覚えながらも、こういう時代だからこそ過去に使ってきた映像機器を保管する価値があると信じ、収集に力を入れた。そしてこの切り替え時期に多くの機器を集めることができた。
アナログ機器の良いところは、何とも言えぬ手触り感だ。例えば、長年使いこんだビデオカメラであれば手の感覚でカメラの位置や方向、スイッチやボタンの場所もすぐ分かる。デジタルの場合は画面でメニューを選ぶので、これまでの感覚はまるで役に立たない。
現場もやはりアナログ時代の方が印象に残っている。私は道内の山や自然の中で撮影する機会が多く、かつてはビデオカメラを含めた重い機材を担ぎ、山を登っていった。便利さでは現代の機器に及ばないが、苦労、回り道を重ねたからこそいい映像が生まれることも多かったように思う。
私は05年ごろからフリーで仕事をしながら、機器を展示するためのスペースを探し始めた。すると、偶然地元の登別で場所を見つけた。地元に同級生もまだ多く残っていたので改装作業を手伝ってもらい、昨年9月に博物館をオープンした。
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誰でも自由に使える
開業後はある特殊機材会社から撮影用の西ドイツ製大型クレーンも譲り受けた。今はカメラを先端に付けてクレーンを下で操作するが、かつてはカメラマンがクレーンに乗っていた。そんな光景を昔テレビで見た人も多いと思うが、今は昔だ。
現在は約200平方メートルのフロアに100点以上の映像機器を所狭しと並べている。機器はそれぞれ月に1回はメンテナンスし、使える状態を維持している。来館者が実際に手にとって使うことができるのが、ほかにはない特徴だろう。
プロダクションなどから博物館で保有する映像機器で過去の映像を再生したいという申し出もあり、できる限り応じてはいるが、私は皆さんに広く機器を見てもらうことを優先したい。戦後日本の映像文化の変遷を肌で感じてほしい。
(やまもと・びん=登別映像機材博物館館主)
[日本経済新聞朝刊2016年8月18日付]
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