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ブック、おススメの1冊

本当の夜をさがして ポール・ボガード著 闇の中に身を置く素晴らしさ

2016/6/26付 日本経済新聞 朝刊

 〈文月や六日も常の夜には 似ず〉

(上原直子訳、白揚社・2600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 「夜」に強い関心を抱く著者に、この芭蕉の句を紹介したら、きっと喜んでくれるはずだ。文月七日の七夕はもちろん特別な夜だが、その前夜である六日の夜空もまた、ただならぬ気配で満ちている。『おくのほそ道』において、この句のすぐ後に掲げられた「荒海や佐渡によこたふ天河」とともに、夜への鋭敏な感性を窺(うかが)わせる名句といっていい。

 『本当の夜をさがして』を『おくのほそ道』に引きつけて読みたくなるのは、これらの上質な旅文学に、二つの重要な共通点があるからだ。まず一つは、先人たちの経験をなぞって血肉化した自身の言葉で綴(つづ)られていること。芭蕉が西行や能因を心に置いたように、著者はディケンズの歩いた真夜中のテムズ川沿いを辿(たど)ったり、ソローが住んだ森に出かけて、蛙(かえる)の声に耳を澄ませたりする。引用にとどまらず、実際の体験を通した言葉には、確かな厚みがある。

 西洋文化圏において、常に光によって追いやられる対象だった夜の美や価値の復活を訴える著者の文章は、原則として理論的だ。だが、夜の闇の素晴らしさに及ぶときの語り口は高揚し、紀行文に生彩(せいさい)を与えている。たとえばモロッコの砂漠で仰いだ星空を「吹雪」と喩(たと)え、「星々が体のまわりを嵐のように舞うのに身を任せていた」と謳(うた)いあげる一節には、彼の詩人としての才気が迸(ほとばし)っている。

 もう一つは、人々との出会いが旅の推進力になっている点だ。芭蕉は、土地の俳人と会い、連句を巻いて文学観を鍛えていった。著者は、夜空を光害から守ろうとする市民組織「IDA」のメンバーをはじめ、照明の専門家、天文学者、深夜労働者ら、多様な人々との交流を通し、自身の考えを深めていく。

 とりわけ、「光は善、闇は悪」という二項対立を捉え直してゆく宗教者のデイヴィッド・セトレとの対話はスリリングだ。著者は、夜は人間が本当の自分に戻る時間であり、闇の中で自分の弱さや脆(もろ)さに向き合うことの大切さを指摘する。

 著者の提言を受け取った後で見ると、冒頭の芭蕉の句は得体(えたい)のしれない夜というものへの畏れが強く反映した句だと気づく。闇が濃くなり星がくっきりと見える七夕は、一年を通して最も夜の力が強まる時だ。頭上に満ちゆく未知の力に慄(おのの)く芭蕉の姿は、自然に比べての人間の小ささを教えてくれる。夜への畏れを受け入れることは人間を知ることと同義なのだ。もうすぐ七夕の夜。夜空をただ観賞するだけでなく、未知への畏敬の念を新たにする日としたい。

(俳人 高柳 克弘)

[日本経済新聞朝刊2016年6月26日付]

本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのか

著者 : ポール ボガード
出版 : 白揚社
価格 : 2,808円 (税込み)

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