ジャンクDNA ネッサ・キャリー著
無意味に見える98%の価値解明
だいたいにおいて子は親に似るものだが、例外も多々ある。わかるようでわからない、遺伝とはやっかいな現象だ。人々は大昔から作物を栽培したり、家畜を交配したりして遺伝とかかわってきたにもかかわらず、遺伝の基本を発見したのは、19世紀のメンデルである。そのメンデルの法則の再発見が1900年。遺伝に関する科学的理解の夜明けは、まさに20世紀の夜明けだったのだ。
さて、そこからがすごい。1900年までは、ほとんど何もわかっていなかったのに、53年には、ワトソンとクリックによるDNAの構造解明がなされる。そして、分子生物学という分野がどんどん発展した。そして2000年には、なんとヒトゲノムのおおよその全貌が読めてしまった。百年でこれほどの急激な発展を見た科学の分野は、ほかにないように私は思う。
ヒトゲノム、つまり、ヒトの持っているDNAの配列を全部解読してみたところ、奇妙なことがわかった。実際にタンパク質を作っている遺伝子は、全配列のたった2%ほどにすぎなかったのだ。では、残りの98%は何をしているのか? それらの多くは、うだうだとした繰り返し配列など、意味をなさないように見えるものばかりだったので、いつのころからか、それらは「ジャンク(がらくた)遺伝子」と呼ばれるようになった。
この十数年で、遺伝子の解析がさらに飛躍的に進んだ。すると、この「ジャンク」、どうもただのがらくたではないらしい。これらは、目なら目、肺なら肺の細胞だけで特定の遺伝子が発現するようにさせている配列や、染色体の複製のときにきちんと正確な複製ができるようにする構造、さまざまな遺伝子の発現量を調節する部分などなど、実に多くの貴重な仕事を担っているのである。
これらは大変に複雑な話であるのだが、著者のたとえが素晴らしい。自動車工場で実際に車を組み立てている工員の数は少ないかもしれない。しかし、車が生産されて、市場に出るまでには、販売も、電話の取り次ぎも、食堂の賄いさんも、実に多くの人々がかかわっている。組み立てている工員さんだけが自動車産業の主力で、あとの人々は「ジャンク」だと言われたら、それは違うだろう。と言う具合に、直感に訴えてわかりやすい。
実際、生物が複雑になるほど、ジャンクDNAの量が増える。私たちは、まだまだ遺伝子の全貌を理解していない。ここまではわかったものの、この先にさらに広大な未知の領域が広がっていることを示す好著である。
(総合研究大学院大学教授 長谷川 眞理子)
[日本経済新聞朝刊2016年6月26日付]
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