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JR中央線、まっすぐな路線なぜ カギは蒸気機関車 「地理的に最も合理的なルート」

2016/5/10 日本経済新聞 朝刊

JR中央線はなぜこんなに路線が東西にまっすぐなのか――。そんな疑問を抱く人は多いのではないだろうか。中野から立川付近の市街地を延々と貫く約23キロメートルの直線ルートができた理由とは。中央線の歴史に詳しい研究者に尋ねてみた。

江戸東京たてもの園(東京都小金井市)で中央線の企画展などを担当した真下祥幸学芸員(49)は「証明する一次史料は残っていませんが、様々な説が語り継がれています」と話す。中央線の前身、甲武鉄道が明治時代に甲州街道沿いに蒸気機関車を引こうとした際、「煙が迷惑」などと住民が反対し計画路線を移したという話や、工事を担当した工部省の仙石貢(後の鉄道大臣)が地図にエイッと線を引いた、など様々な説がある。

現在のJR中央線の風景。甲武鉄道をルーツにした直線状の路線が続く

「ただ、当時の社会を研究すると、いずれの説も考えづらいことが分かります」と真下学芸員。計画当初の史料に住民反対のくだりがないうえ、「新宿―八王子で甲武鉄道が開業した1889年は新橋―横浜の鉄道開通から20年近くたち、鉄道への抵抗感は弱まり経済効果が注目された」。現に1890年に開業した日野駅を巡っては駅設置の請願運動があった。当時の測量技術からも、仙石が線を引き適当に路線を決めるのも考えづらいという。

ではどんな理由が考えられるのか。真下学芸員は「蒸気機関車の能力、燃料供給、土地買収などから地理的に最も合理的なルートを選んだ」と分析する。線路のルートは甲州街道などより勾配差がなく、馬力が弱い機関車の弱点を克服できた。開業時からあった国分寺、立川などの駅も、石炭と合わせ機関車を動かすのに必要な水を用水路から供給する契約が成立した地域が選ばれた。また沿線は畑ばかりで、民家が集積する街道沿いより用地買収がしやすく、建設費をなるべく抑えるため直線になったと推測する。

同じく中央線の歴史に詳しい鉄道博物館(さいたま市)の荒木文宏副館長(74)も「勾配など地理的条件、コスト面などから20キロメートル以上の直線は作る側にとって最も理想なルート」と説明する。

現在、中央線を運行するJR東日本に聞いたところ「諸説あることは認識しているが社内で根拠を持って話せる人はいない」(広報部)という。明確な証拠がないのも100年以上前の鉄道建設の謎を想像する楽しみにつながるのかもしれない。

■仙石貢が引いたという線「豪傑伝の可能性も」

鉄道博物館は鉄道の歴史を学べる国内有数のスポット

鉄道博物館(さいたま市)は中央線など鉄道の歴史を学べる。2018年に増築し新館を開業する予定だ。2階のライブラリーは約3万6000冊の蔵書があり、閲覧できる文献も多い。

仙石貢が地図に線を引き甲武線の路線を決めたという説は1951年発行「鉄道黎明の人々」(青木槐三著)の「雷親父仙石が武蔵野の原だ、これでいいと地図の上にグーンと太い鉛筆の線をひいた」が出どころ。「豪傑伝の可能性もあり真偽は不明」(同博物館)という。

[日本経済新聞朝刊2016年5月10日付]

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