さよなら渓谷
極限の愛、リアルに描く
女と男が抱き合っている。回る扇風機、夏の日差し、衣ずれ、したたる汗、シーツのしわ、セミの声。
大森立嗣監督が撮る人物は生々しい。そのたたずまいがあまりにリアルで、時に筋立てを忘れてしまうほどだ。泣いている人は本当に泣いているし、叫んでいる人は本当に叫んでいる。
件の冒頭シーンも表向きの事件は、隣家で起きている。息子殺しの嫌疑をかけられた若い母親、取り巻く報道陣、逮捕を報じるテレビ。そんな世間の関心事を気にもとめぬように、激しく愛しあう女と男(真木よう子、大西信満)。
そしてこの物語の中心が実は世間から遠く離れたこの男女の側にあることが次第に明らかになる。東京の外れの緑したたる渓谷のある町。古びた団地でひっそりと暮らす女と男。なぜ2人は人目を忍ぶのか、なぜ女は男を告発するのか、なぜ2人は愛しあうのか。
週刊誌記者(大森南朋)の取材で浮かぶのは15年前の集団レイプ事件。加害者と被害者を白眼視する社会が2人を追い詰め……。
「ゲルマニウムの夜」から「ぼっちゃん」まで、大森は一貫して社会の中で居場所を失った人間を描いてきた。吉田修一原作の本作もそう。現実離れした特殊な設定ゆえ、2人の「居場所のなさ」は想像を絶する過酷さで我々を揺さぶる。
いびつな2人の関係をどこかでうらやむ記者。彼は我々が世間のしがらみに絡め取られ、失ったものを2人に見ている。自由な魂と愛の純粋形がそこにある。
大森はこの極限の愛のフィクションを徹底的にリアルに描いた。セリフは最小限にそぎ落とされ、女と男は冷蔵庫の中身を案じるような日常的な会話しかしない。心情の吐露も暴力の発露もない。あるのは汗であり、吐息である。恐れであり、覚悟である。静寂な画面に感情だけがうねる。
真木が素晴らしい。1時間57分。
★★★★★
(編集委員 古賀重樹)
[日本経済新聞夕刊2013年6月21日付]
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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