桃(タオ)さんのしあわせ
主従の深い人間関係
香港映画〈ニュー・ウェイヴ〉の一人として、1970年代末に監督デビューして以来、あらゆるジャンルを手がけつつ、作家としての核を見うしなわず商業主義のジャングルをサバイバルしてきた、アン・ホイ(許鞍華)。近年の彼女は、「生きていく日々」(2008年)等、テレビ時代の初心にもどるかのように、香港という社会の固有性を見つめた秀作を連発し、あらためて注目されていた。
この最新作「桃(タオ)さんのしあわせ」は、その好調の波がさらに一段、高くなって彼女にとっても未到の境地に到達しえた傑作である。これはアン・ホイの「女人、四十。」(95年)にも参加し、この映画の共同プロデューサーでもある香港映画人、ロジャー・リー(李恩霖)の実話をもとにしたいわば身内のはなしだ。
ロジャーが生まれたときにはすでに家にいた、メイドの桃さん。13歳から60年もリー家(映画では梁(リョン))につかえてきたが、一家は海外に移住し、香港にのこっているのはロジャーだけ。
何も言わなくてもわかりあっている主従の関係。ある日、桃さんが脳卒中でたおれる。老人ホームでリハビリをする桃さんを、北京と香港を往復する忙しい生活のなかで、ロジャーはできるかぎり面倒をみる。
桃さんが最期をむかえることは、映画のはじめですでにわかっている。これは闘病記でもないし、死別で泣かせる映画でもない。
生まれたときから世話になったメイドと「私」の最後の日々(こういう人間関係自体、もう最後かも知れない)を淡々とつづった、エッセイのような風あいの映画なのだ。劇的なしかけからではなく、すべての細部から、生がかがやきたつ。ちいさくて親密な世界が、無限のひろがりをもつ。
桃さん役のディニー・イップ(葉徳嫻)がヴェネツィア国際映画祭で主演女優賞。これは当然といえる。1時間59分。
★★★★★
(映画評論家 宇田川幸洋)
[日本経済新聞夕刊2012年10月5日付]
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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