ライク・サムワン・イン・ラブ
人間の孤独と不可解さ
イランの名匠、アッバス・キアロスタミ監督が日本を舞台に日本人俳優を使って撮った日本語の映画である。物語がどこに向かうか皆目見当がつかないミステリータッチで、結末の予想は誰にも不可能だろう。
冒頭は夜のバー。軽佻(けいちょう)浮薄な若い女たちの会話が延々と続くのに閉口していると、でんでんが登場して『冷たい熱帯魚』以来名人芸となった理屈っぽく嫌らしい中年男を巧みに演じてみせる。だが、ここまでは、さすがのキアロスタミも勝手の違う日本で本領を発揮できぬのかと思いきや、女の一人がタクシーに乗せられ、どことも知れぬ場所へ向かう途端、画面の緊張が一気に高まり、見る者は未知の世界へ導かれる。
どうやら女はある老人のもとに配達された商品らしい。だが、性的なニュアンスはほとんど感じられず、二人のぎくしゃくした会話は相変わらずサスペンスを湛(たた)えながら、なんとも不可思議な人間関係の齟齬(そご)と、黄昏(たそがれ)のようにあたりを浸すメランコリーを醸成する。
翌朝、老人は女を車で送る。その途中で、女の恋人らしき男(加瀬亮)が登場し、老人と意気投合する。車のなかを中心とする登場人物たちの会話がじつにリアルで、人はそれぞれの癒(いや)しがたい孤独を抱えこみながら、しかし、ふと出会う人間と心が触れあうこともあるのだと感動する。
だが、その人間讃歌(さんか)で終わらない。そこにこの映画の怖さがある。こんな人間の不可解さを描けた監督は、ほかにジャン・ルノワールしかいない。
北野武作品でおなじみの柳島克己の撮影がキアロスタミの即興的演出の呼吸を呑(の)みこんで見事だが、とくに素晴らしいのは菊池信之の録音で、こんなに生々しく多元的な音場の設計は奇跡的というべきだろう。キアロスタミの独創的な手法に応えた日本人スタッフの健闘が誇らしい。1時間49分。
★★★★
(映画評論家 中条 省平)
[日本経済新聞夕刊2012年9月14日付]
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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