2011/12/20

飛鳥を避けた孝徳帝

大阪歴史博物館の地下には当時の倉庫や塀の遺構が保存・展示されていて見学できる(大阪市中央区)

難波宮跡は大阪平野に南北に延びる上町台地の、標高が最も高い地域にある。今では周囲は平地だが、古代の海岸線は台地のふもとに迫っていた。5世紀ごろから海外交易港「難波津」として栄え、大型の倉庫が林立。外国の外交使節を迎える施設も置かれていた。

難波遷都は645年、中大兄皇子によるクーデター(乙巳=いっし=の変)後。時の孝徳天皇が、蘇我氏の影響力の強い飛鳥を避けたとされる。天皇中心の中央集権体制を目指す大化の改新が進んでいた652年、海に臨む「難波長柄豊碕宮(前期難波宮)」が完成する。だが2年後、孝徳帝の死去を受けて都は飛鳥へ戻る。宮殿は副都として利用されたが686年、火災で焼失した。

日本書紀に「論うべからず」

前期難波宮の復元模型。左右対称の整然とした構造は、後の藤原宮などの祖型とされる(大阪市中央区の大阪歴史博物館)

奈良時代、聖武天皇も同じ場所に宮殿を造営(後期難波宮)、一時遷都したことがある。だが研究者の注目を集めるのは、日本書紀に「ことごとくに論(い)うべからず(言葉で言い表せないほど立派だ)」と記された前期難波宮だ。発掘で徐々に明らかになった姿は、従来の飛鳥の宮殿と一線を画す規模と構造だった。それまでは分散していた官衙(かんが=官庁)を集約し、内裏(天皇の居所)の南側に左右対称に整然と配置した様子は新たな政治機構を具現化したとされ、後の藤原宮や平城宮の祖型となった。

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