「がんばっぺフラガール!」
がけっぷちからの再起、ふたたび
フラガールたちの全国キャラバンは実に46年ぶりだという。映画「フラガール」で描かれた常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)開業時以来の巡業だ。笑顔で踊るフラガールたちは、悲しみなどおくびにもださない。けれど、あの時も、そして今も、彼女たちはがけっぷちに立っている。そんな彼女たちの姿を見ていると涙が止まらなくなった。
福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズは東日本大震災で大きな被害を受け、その後も原発事故に苦しめられているが、この10月になんとか部分オープンにこぎつけた。この映画は被災からの再起を追ったドキュメンタリーである。
被害は甚大だった。多くの施設が倒壊。残った建物には原発事故のために避難してきた福島県広野町の住民を受け入れた。避難民たちの世話をしながら、営業再開を目指すスタッフたち。舞台を失ったフラガールたちは、全国巡業に出ることになった。
野球場や公民館などさまざまな場所で踊るフラガールたち。熱い人工芝の上で踊ると足の裏がヒリヒリ痛む。津波や原発事故で避難してきた人々の前で踊ることもしばしばだ。福島から笑顔を届けるという仕事は、被災者たちの心を支える仕事でもある。
踊り子たちのほとんどは地元出身者。サブリーダーの大森梨江は福島第1原子力発電所のある双葉町出身だ。自宅は原発からわずか2.2キロ。原発の施設が窓からよく見える。警戒区域となって、家族は全員避難した。
大森は一時帰宅が許され、防護服に身を固めて自宅に向かう。部屋に置きっぱなしのリーダーにもらった手作りのバッグや、仲間に勧められたドライヤー、親友がくれたぬいぐるみがいとおしい。
フラガールと共にショーを彩るファイヤーナイフダンサーもまた正社員だ。火を使う踊りだから、本拠地以外では披露するのが難しい。全国巡業でバックバンドの荷物運びなどを手伝いながら、腕がなまらないように、日々の練習は欠かさない。身体訓練も続けるし、日焼けもしなくちゃいけない。
広野町の被災者たちがスパリゾートを去る前に、お礼のために、草取りをしてくれた。「同じつらい経験をしているから」と被災者の1人は言う。農民である被災者たちの草取りの手際のよさに、支配人をはじめとするスタッフたちは舌を巻く。
常磐ハワイアンセンターの開業時に若手社員だった斉藤一彦社長は「石炭が売れなくなった時よりもきつい」と言う。それでも、再開を目指してスタッフは結束した。
炭鉱の閉山で存亡の危機にたった町が、リゾート施設に活路を見いだしたのは、同じ山で働く者たちが皆で苦難を乗り越える「一山一家」の精神があったからだ。炭鉱マンの妻や娘たちはこの町で暮らし続けるために、フラダンサーとして舞台に立った。「フラガール」で描かれたエピソードだ。
今回の危機は46年前の危機よりもさらに大きい。日本のエネルギー政策に翻弄(ほんろう)されてばかりだ、と見ることもできる。そんな苦境にあっても立ち上がろうとする福島の人々に拍手を送らずにはいられない。
どん底を知った人間は強い。「フラガール」の蒼井優たちがそうであったように、2011年の現実のフラガールもまた、これからも福島で生きていこうとしている人々なのである。復活のステージでフラガールたちの流す涙に、ドキュメンタリーの強さを見せつけられた。監督は「スキージャンプ・ペア」の小林正樹。1時間40分。
(編集委員 古賀重樹)
東京・新宿ピカデリーほかで10月29日公開。
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