「東京・芝浦に大津波が襲来」――。約90年前の関東大震災(1923年)では流言飛語が飛び交い、そのまま地方紙などの記事として掲載されたという。首都圏に地震が発生した場合、東京湾で津波被害の心配はないのか。過去の歴史を振り返りながら検証してみた。
「首都圏地震の場合の東京湾への津波の高さは1メートルから1.5メートル」――。東京大学地震研究所元講師の羽鳥徳太郎氏はこう予測する。同氏は江戸中期の元禄関東地震(1703年)、同末期の安政東海地震(1854年)などの津波の記録を同時代の日記や手紙など多くの古文書から丹念に調べ上げた。
関東大震災のデータも参考にして推定。波高1メートルでは陸地への影響はほとんどなく、1.5メートルは低地での床下浸水が懸念されるレベル。4メートルを超えると家屋が全半倒壊するケースが多いという。
江戸城に「地震之間」
赤穂浪士の討ち入りから約1年後の元禄関東地震は推定M(マグニチュード)8.2という江戸期最大の地震。相模湾に沿って海底に延びるプレート境界から発生した。小田原城は完全に倒壊し江戸城も被災した。この地震後に江戸城内に一種の耐震構造を備えた「地震之間」が設けられた。
津波も三浦半島では津波高6~8メートルに達し寺社などが流失したが東京湾内のほとんどのエリアでは減衰して1~2メートル。両国で4回の津波を記録し1隻が転覆、品川では浜側へ逃げた人が波に巻き取られたことなどが記録されている。
幕末の安政東海地震(M8.4、震源は駿河湾から遠州灘沖)は房総半島から四国にかけて津波が襲来し伊豆に停泊中のロシア船ディアナ号が沈没したりした。しかし江戸では隅田川河口の浜町河岸(中央区)で水位が1~1.2メートル上がって路上にあふれ、船が破損した程度だった。深川(江東区)でも水があふれたが家屋までは到達しなかったとの古文書が残っている。