「悪役」山県有朋、日本近代史で再評価実は愚直で優しい性格だった……

2011/2/9

歴史博士

明治、大正時代の最大の「悪役」のイメージがつきまとう、山県有朋を見直す動きが相次いでいる。日本陸軍の実力者として富国強兵策を推進した山県は、藩閥・軍閥の巨頭、政党政治への抑圧者、昭和陸軍暴走の遠因など近代日本の「負」の象徴ととらえられてきた。しかし実際の出兵には常に慎重派で、対欧米協調を基本とする外交路線など現実的な政治手腕を再評価する声が出ている。

卓越した外交リアリスト

学習院大学の井上寿一教授は「山県有朋と明治国家」(NHK出版)で軍事リアリストとしての山県を描いた。松下村塾、奇兵隊で幕末を戦った有朋は近代兵器の威力を身をもって知っていた。一生を通じて陸軍の軍備増強を目指し続けたが、井上教授は「日清戦争から大正のシベリア出兵まで軍事力行使には常に慎重な立場を取った」という。

井上教授は松本清張ー林房雄論争を手掛かりに山県有朋の政策、政治路線を分析する
伊藤教授は不人気で批判されながら権力を維持し続けたナゾに迫る

さらにアジア外交では孤立を避けるため、最初に欧米との協調路線を構築することに心を砕いた。山県は批判的な視点も持つ冷徹な欧米文化の観察者。第1次大戦後の米国の台頭をいち早く見抜くなど「卓越した外交リアリスト」(井上氏)の面を分析した。

「陰険な権力主義者」という個人イメージを覆したのが京都大学の伊藤之雄教授だ。「山県有朋」(文芸春秋)では吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛らに愛され信頼された理由を解き明かした。愚直で優しい性格を併せ持ち「自分の利害や人気を勘定に入れず、やるべきだと考えることを全力でやる」新たな山県像を提示した。同世代の伊藤博文らにも共有していた感覚という。