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世界に40億人いる貧困(BOP)層へのビジネスは、企業単独では成しえません。途上国には先進国以上に多様な取引先・ステークホルダーがおり、彼らを巻き込む仕組みをつくらなければならないのです。この多様なプレーヤーを巻き込む仕組みをプラハラードはエコシステム(生態系)と呼びます。BOP市場に進出する先進国企業にはエコシステムの形成が求められます。

早稲田大学ビジネススクール准教授 入山章栄氏

早稲田大学ビジネススクール准教授 入山章栄氏

例えば同書は、欧州企業ユニリーバのインド子会社HULを取り上げます。日用品・食料品を扱うHULのエコシステムにも、150の工場からなる中小サプライヤー、1万2000の卸業者、30万の中小・零細の小売業者、4万の部族民、あるいは州政府など、多様なプレーヤーがいます。

中でも興味深いのはシャクティ・アマと呼ばれる多数の個人起業家です。インドのような巨大BOP市場では農村部までHUL単独の直販網が届きません。代わりにシャクティ・アマが農村部の直販を担っています。

ここで彼らをエコシステムに巻き込むポイントは「教育」である、とプラハラードは述べます。それも学校教育のような座学ではありません。実際に市場でのビジネスを経験させ製品・価格・収益の知識を学ばせます。

さらに重要なのは契約の知識です。彼らに契約の概念を教え、契約を順守すれば利益が得られることを体感させることで、シャクティ・アマは一人前の起業家として育っていくのです。

ビジネスを通じてBOP層の人々を教育することは、彼らの尊厳の向上にもつながるようです。本書によると、あるシャクティ・アマは「(この仕事を始めて)やっと一人前の人間になれた」と言ったそうです。HULがインドで契約するシャクティ・アマは、いまや100万人に達します。BOPのエコシステムとは、このように民間企業が市場メカニズムの規範を植え付けることで形成され、それが貧困問題解決にもつながるのです。

ケーススタディー 「情報の非対称性」を解消する

ここからは、市場メカニズムに基づくエコシステムがBOPの問題を解消する別の事例として、本書で紹介されているブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)のインド子会社ITCの、大豆の調達に関するケースを紹介しましょう。

従来のインド農村部では、大豆を売りたい農民と、大豆を買いたい加工業者の間に仲買人が介在していました。仲買人が開く「マンディ」という競り市に農民が大豆を持ち寄り、そこで仲買人は大豆を競り落として、加工業者に売るのです。

しかし、この取引において、仲買人は圧倒的に有利でした。なぜならこのマンディを農家と仲買人の間に挟むことで、仲買人は大豆の市場情報を独占し、一方で農家はその情報を持てなかったからです。経済学・経営学では、このように取引関係にある両者の片方だけが情報を偏在して持つことを「情報の非対称性」といいます。

BOP層に不利なエコシステムをITで変革

 そして情報の非対称性は、情報を持つ仲買人の交渉力を高めます。結果として仲買人は、(1)農家に輸送費を負担させたり、袋詰めのコストを払わせるなどを慣習化させ、(2)農家への支払いを遅延させる――といった、強い立場をとることができました。逆に、零細の大豆農家は不利な立場におかれ、しかしそれでも仲買人に依存しなければならない状況が長く続いたのです。いわば、仲買人が圧倒的に有利なエコシステムです。

これに対してITCは、「eチョーパル」というIT(情報技術)を取り入れた仕組みを大豆取引に導入しました。零細の大豆農家にITを使った取引にアクセスさせることで、仲買人に圧倒的に有利だったエコシステムを変えようとしたのです。

例えば、eチョーパルにアクセスできるようになった大豆農家は、周辺で開かれる複数のマンディの大豆価格を比較できるようになりました。結果として、「どのタイミングで、どのマンディで自分たちの大豆を売るのが最適か」を自ら決定できるようになりました。加えて、eチョーパルを通じて世界中の大豆の価格情報も入手できるので、その価格と比較した上で仲買人と交渉ができるようになりました。eチョーパルにより、情報の非対称性が解消されたのです。

市場メカニズムが貧困問題の解消に寄与

 もちろん農村部でのeチョーパル導入には課題もありました。特に農村部では、農家一軒一軒がパソコンを所有できるほどの所得はありません。そこでITCは村ごとに、「サンチャラク」と呼ばれる優秀な農家にパソコンを与え、そのパソコンを村全体で使えるようにしたのです。ITCは各サンチャラクに、農村でのパソコン使用の公平性を保つように宣言もさせました。

このようにして零細の大豆農家が情報の非対称性を克服すると、彼らの仲買人に対する交渉力の不利は解消され、フェアな交渉が行われ、結果としてかつての不利な状況が解消されていったのです。価格の透明化により、輸送コスト・袋詰めコストを農家が負担することがなくなり、仲買人は支払いを遅らせることができなくなりました。また、eチョーパルを通じて市場の正確な情報が入り、大豆の正確な計量ができるようになったことで、農家が仲買人からごまかされていた分の損失がなくなったのです。

これもまた、慣習的な競りの仕組みをやめ、より透明性の高い市場メカニズムに基づいたエコシステムを取り入れることが、貧困問題の解消に寄与した一例といえます。皆さんの中には、市場メカニズムに対して「弱肉強食で、所得格差を拡大させる」といった先入観を持たれている方もいるかもしれません。しかし、BOPのような市場制度の整っていない市場では、むしろ市場メカニズムに基づくエコシステムを取り込むことが、BOP層の問題解消につながりうるのです。

入山章栄(いりやま・あきえ)
早稲田大学ビジネススクール准教授
1996年慶応義塾大学経済学部卒業。98年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、2003年に同社を退社し、米ピッツバーグ大学経営大学院博士課程に進学。08年に同大学院より博士号(Ph.D.)を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールのアシスタント・プロフェッサーに就任。13年から現職。専門は経営戦略論および国際経営論。主な著書に「世界の経営学者はいま何を考えているのか」(英治出版)、「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」(日経BP社)がある。

この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。

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著者 : C.K. プラハラード, C.K. Prahalad
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