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1998年9月に運航開始したスカイマークエアラインズ(現スカイマーク)に大手航空会社が攻勢をかける。

羽田―福岡線の平均搭乗率は営業開始後の1カ月間で76%に達しました。大手航空会社の搭乗率を15~20ポイント上回り、採算ラインといわれる70%を大きくクリアしました。

出足は好調でした。しかし、年が明けると静観していた大手航空会社が価格競争を仕掛けてきました。1日3便だったスカイマークのフライト時間帯に絞って半額運賃を設定したのです。まるで大人が子どもにけんかを売るようなものでした。

就航当初は好調だったが…(1998年9月、羽田空港)

就航当初は好調だったが…(1998年9月、羽田空港)

消費者は一気に大手航空会社に流れ、スカイマークの搭乗率は半年後には50%台を切る水準にまで低下しました。採算割れに陥り、毎月数億円の赤字がでる状態が続きました。

「お客さんは冷たいなあ」。消費者に失望しました。新規参入する時にはあれほどスカイマークを応援していた消費者がそっぽを向いていました。夏休みなど繁忙期も含め年間を通じて半額運賃を維持すれば、お客さんが戻ってきてくれたかもしれませんが、それでは赤字続きです。

新規参入の際にお約束した半額運賃を撤回し、早めに予約すると運賃を割り引く「イールド・マネジメント」を積極的に導入しました。今では一般的な販売手法になっていますが、当時は珍しく反響を呼びました。

スカイマークは02年10月期まで5期連続の最終赤字が続き、債務超過に陥った。

大手航空会社の巻き返しで新規参入組の経営環境は厳しさを増し、02年6月には北海道国際航空(現AIRDO)が経営破綻しました。スカイマークは整備・地上業務を自社でこなすなどコスト管理を徹底し、収益力を底上げしていきました。ただ、それだけではなかなか債務超過を解消するメドが立ちません。

そんな時、部下に紹介されたインターネット接続会社会長の西久保慎一氏が出資してくれることになりました。債務超過はこれで解消できましたが、エイチ・アイ・エス(HIS)は筆頭株主から2位株主になりました。03年のことでした。

経営はいずれ筆頭株主になった西久保氏に託すつもりでしたが、意地としてスカイマークを黒字にしたかった。04年10月期に最終黒字になり、私の役割は99%終わりました。05年6月にスカイマークの会長を退き、経営から離れました。

12年が日本の格安航空会社(LCC)元年といわれます。98年という「紀元前14年」に運航開始したスカイマークは、早すぎた挑戦だったかもしれません。LCC時代の到来を待っていてもよかった。しかしスカイマークが挑戦しなければ、割安運賃などの普及は遅れたでしょう。規制に守られていた日本の航空業界に風穴を開けたという意味で、スカイマークの挑戦は無駄ではありませんでした。

[日経産業新聞2016年1月18日付]

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