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「途上国の貧困層(BOP層)の諸問題をビジネスと市場の力で解決する」と主張し世界中で大きな反響を得た本書の初版は、2004年に刊行されました。その後、09年に出版された増補改訂版でプラハラードは、この間に世界がBOPビジネスに理解を示すようになったとその手応えについて述べています。

早稲田大学ビジネススクール准教授 入山章栄氏

早稲田大学ビジネススクール准教授 入山章栄氏

マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが、他者への配慮を重視する「創造的資本主義」を提唱するなど、ビジネスリーダーからも後押しする主張が出てきました。

加えて大きく変わったのがIT(情報技術)の爆発的な普及です。ITはBOPビジネスを後押しします。例えば、インターネットを使って先進国の一般の人々が途上国の起業家に直接、投融資する機会が提供されるようになりました。

さらに重要なのが携帯電話の普及です。携帯電話の契約台数は世界で約70億台で、最近の成長の大部分はBOP市場のものです。エリクソン、ノキアなどの通信関連企業はプリペイドカードを販売したり携帯電話を貸し出して通話料を徴収したりして、BOP層でも携帯電話が使える仕組みを取り入れました。第2回のシャンプーの事例で紹介した「使い切り」売りの発想そのものです。

このようなイノベーションにより、インドでの携帯電話の通話料は1分あたり1円以下です。結果として、農民が市場価格などの情報に簡単にアクセスできるようになり、それは彼らの生産性を向上させ、仲買人から搾取される機会を減らしました。携帯電話のおかげでBOP層は医療や金融サービスも利用できるようになったのです。

プラハラードは10年にこの世を去りました。本書最終章で彼は、BOPビジネスの目標は貧困層が厚い「ピラミッド型」の所得構造を、中間層が厚い「ダイヤモンド型」に変えることだと述べます。その実現は、BOPビジネスのさらなる発展にかかっているのです。

ケーススタディー ITが貧困層にもたらした予想外の効果

ここからは、ITがBOPの社会問題を解決する例として、前回も取り上げたブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)のインド子会社ITCの大豆の調達の事例の、前回は触れられなかった部分を紹介しましょう。

従来のインド農村部では、大豆を売りたい農民と、大豆を買いたい加工業者の間に仲買人が介在していました。仲買人は情報の取得において圧倒的に有利な立場にあり、情報を持たない農民は仲買人に搾取されていました。

これに対してITCは「eチョーパル」という仕組みを取り入れました。これは村ごとに「サンチャラク」と呼ばれる優秀な農家にパソコンを与え、サンチャラクを介して村全体の農民がパソコンを使えるようにする仕組みです。零細の大豆農家がパソコンを使った取引にアクセスできるようになったので、彼らに市場の正確な情報が入り、大豆の正確な計量ができるようになり、結果として仲買人への不利な立場が解消されていった、というのが前回紹介した内容でした。

しかし、eチョーパルの効果は、実はそれだけではありませんでした。プラハラードによると、ITCが当初は予想もしていなかったような副次的な効果がいくつもあったのです。

第一に、零細の農民たちはネットを通じてインド中の様々な人とつながるようになり、様々な話題を、ヤフーチャットなどのサービスを通じてチャット(会話)するようになりました。たとえば、互いに面識のない別の村々の女性たちがチャットを通じて家族の悩みを相談し合ったり、政治問題を語り合ったりするようになったのです。これまでインドの農村に閉じ込められていた彼らの知見は、一気に広がることになりました。

第二に、eチョーパルを通じたネットへのアクセスは農民に新しい娯楽も提供しました。彼らはパソコンを通じて映画や音楽を再生し、クリケットの試合を見ることもできるようになりました。学生は、オンラインを通じて自分の成績を調べるようになりました。

貧困層ビジネスでこそ生かされるべきIT

さらに、これらのコミュニケーションは国境を越えるようにもなりました。サンチャラクたちは「ヒングリッシュ」と呼ばれる、ヒンディー語を英語の文字を使ってパソコンに入力する方法を覚えました。その結果、インド北部の農村にいるサンチャラクが、米ミシガン州アナーバーにいる学生にメールを送れるようにまでなりました。本書では、そのメールの文面が紹介されています。

このようにeチョーパルは、プラハラードいわく「外の世界とコミュニケーションをとるための理解力と、自分の考えを相手にうまく伝える能力の両方を即座に築き上げた」のです。

eチョーパルはそもそも農民の大豆取引の透明化により、彼らの仲買人に対する不利な立場の解消を目指したものでした。すなわち、これらの事例はすべて、当初のeチョーパルの目的では想定されていなかったものだったのです。しかし、これらの副次効果は農民に新しい世界を切り開かせ、コミュニケーションによる情報交換の場と娯楽を提供し、結果として彼らの自尊心までを向上させたのです。まさに社会問題の解決です。

「ITCのeチョーパルの事例を1000回繰り返せば、国を変革することができる」と、プラハラードは述べます。ITの発展の影響は、もはや先進国だけのものではありません。BOPビジネスでこそITは生かされるべきであり、それは経済問題の解決以上の効果をもたらすのです。

入山章栄(いりやま・あきえ)
早稲田大学ビジネススクール准教授
1996年慶応義塾大学経済学部卒業。98年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、2003年に同社を退社し、米ピッツバーグ大学経営大学院博士課程に進学。08年に同大学院より博士号(Ph.D.)を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールのアシスタント・プロフェッサーに就任。13年から現職。専門は経営戦略論および国際経営論。主な著書に「世界の経営学者はいま何を考えているのか」(英治出版)、「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」(日経BP社)がある。
=この項おわり

この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。

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ネクスト・マーケット[増補改訂版]――「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略 (ウォートン経営戦略シリーズ)

著者 : C.K. プラハラード, C.K. Prahalad
出版 : 英治出版
価格 : 3,456円 (税込み)

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