破綻寸前の離島、今は生徒数が倍増 町ぐるみの大改革
島根県海士町長 山内道雄氏(下)
島根県海士町が「地方創生のトップランナー」とうたわれるまでには、身を削る改革もあった。税収に匹敵する額の地方交付税を切られた時、山内道雄町長は「いよいよ来る時が来たな」と感じ、自らの給与を5割カットする決断をした。職員・町民が一体となり、町長の決断を支持した背景には、どんな思いや出来事があったのだろうか。
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忘れもしない2004年の1月8日、課長以上が集まる町役場の経営会議で、どの住民サービスを残すかを議論しました。予想されるサービスの低下を考えれば自分自身の身を削ることが必要だと判断し、まずは町長である私自身の給与を30%カットすることを決めたのです。
それ以前にも、やれるだけの経費削減はしていました。最初に廃止したのは町の収入役です。当時の地方自治法では人口10万人以上の市には収入役を置かなければならない決まりがありましたけれど、人口わずか2500人(当時)の海士町に収入役を置く必要性は感じられなかった。同じ理由で、町長が乗る公用車もやめました。
給与カットは、決して自慢できるような話ではありません。それでも住民の理解を得るには、私自身が本気になって改革する姿勢を見せないといけないと思いました。
50%の給与カットを6年間続けた
細かい日付は忘れましたが、私が給与カットを宣言してから10日、あるいは15日後くらいのことだったと思います。午後7時くらいでしたか、町長室で仕事をしていたら、前の総務課長から電話がかかってきました。「とにかく店に来てくれ」と。
行きつけの飲み屋がありまして、帰りにそこへ寄ったら、役場の管理職が全員、集まっておりました。そこでいろいろと侃々諤々(かんかんがくがく)し、翌日も町長室で話し合った結果、総務課長が最後には「僕たちも付いて行かせてください」と言った。この言葉には、私も泣かされました。
給与カットを最初に実施した年は助役、管理職、議員、教育委員も20%カット、一般職員に関しては10~20%カットしました。翌年の05年度にはさらに削減率を上げ、町長である私はもとの50%まで減らし、助役、議員、教育委員は40%減、職員は16~30%減としました。