均等法パイオニア世代 施行30年、女性の奮闘の歩み
2016年は男女雇用機会均等法の施行から30年の節目の年。均等法が成立した1985年から89年にかけ総合職として入社した女性5人に、どのように道を切り開いてきたか、また、後輩の女性たちに伝えたいことを聞いた。
Bさん 85年銀行に入行。支店営業など担当。6年勤務後、夫の留学に伴い退行。現在、料理研究家。既婚。53歳
Cさん 86年食品メーカー入社。国際事業部などを経て、グループ会社の経営管理を担当。独身。53歳
Dさん 88年、エネルギー会社に入社。新規開発事業に携わり、現在はエネルギー教育関連の企画を担当。独身。51歳
Eさん 89年生命保険会社に入社。2人の子どもを育てながら、女性40人を率いる管理職に。既婚。50歳
――新卒で就職先を決めた理由は何ですか。
Aさん「(均等法施行前の85年)当時、一般的な企業の女性の採用は短大卒ばかり。四大卒でも女性の総合職採用は限られ一般職枠で銀行に就職した先輩もいました。そんな1人から『今年から男女同じ職種の採用を始めるよ』という情報をもらい、渡りに船と受けました」
Bさん「片っ端から電話をして大卒女性を募集する企業を探しました。口コミで法施行前に先駆けて採用を始めると聞いた銀行を受けました。同じ人事部の違う人から十数回面接を受け、同じことを何度も聞かれました。同期女性らと部長や役員クラスまで頑張ろうと思っていました」
Cさん「86年は企業の大卒女性の募集はどこも若干名。就職した先輩に話を聞いて回ったけれど、みな優秀過ぎてこの人にはなれないと、逆に女性が少なそうな会社を探して食品メーカーに入社しました。同期で女性は約1割で今も働いているのは私だけです」
Dさん「住居に関わる勉強をしていたので、ゼネコンなどに入社する人が多かった。でも私は暮らし全般に関わる広い目線の仕事をしたいと考えてエネルギー会社を選びました」
Eさん「89年は先輩方から電話がかかり、リクルーターがついた時代。いろいろな仕事ができると思い信託銀行と保険会社を受け、最初に内定をもらった生保に入社しました」
総合職でも制服… なじむのに必死
――総合職の女性を巡る雰囲気はどうでしたか。
Bさん「銀行窓口の女性はみな制服なのに私だけ私服。目立ちました。一般職から総合職に転換する制度を活用した女性が4、5人いて、その1人がいる部署に配属されました」
Aさん「配属も研修も男女平等でしたが、電話に出ると『誰か男性を出してくれ』は当たり前。一般職入社の優秀な女性たちもいるので、同期から『女性からも敵とみられるよ』と。それで、お茶くみや机拭きもやりました」
Eさん「支社で総合職の女性は私だけで、先輩たちが一般職の人向けの制服のお古を集めてくれて『これを着なさい』と。自分が溶け込むためにと、配慮してくださいました」
出産・育児、母や夫が支え
――キャリアを積むなかで一番大変だった経験は?
Aさん「35歳で妊娠し、切迫流産と診断されて出社できなくなった。1年間の育休の前倒しとして(特別に)出産の半年ほど前から休み、産後6カ月で復職しました。当時、夫は単身赴任。時短勤務制度がない時代で実家近くに住み、保育園を確保。全面的に母に支援してもらいました」
Eさん「31歳で第1子出産予定日の1週間前に夫に転勤辞令が出て、単身赴任しました。当時、保育園のお迎えは夕方6時。平日5日間ベビーシッターを頼み、月15~16万、病気の時は20万円の出費も。『そんな働き方したくない』と周りから言われたことも。夫には赴任先から毎週末帰って来てもらいました」
Cさん「27~28歳のとき、父が1年弱の闘病生活をし、家族で交代で看病しました。仕事を終えるとお弁当を買って病院へ行き、母と食べて、明け方家に帰りシャワーを浴び、洗濯をして出社。将来、自分がイキイキと生きるためにと頑張りました。また、40歳前後のころ、上司の対応で悩んだり業務で海外を飛びまわったりする忙しい日々のなかで、鬱病になるかとも思いました。ラジオで『心の風邪を引いたときはおいしいものを食べておいしいと声に出して』と聞き、試してみて元気が出ました」
――キャリアを変更したときはどうでしたか。
Bさん「夫の海外赴任で銀行を退行するときは無念です、と挨拶しました。当時は視野が狭かったのかなと今は思います。あのまま働いていたら会社人間になったかも。家庭の事情を優先し、やむなく辞めました。自分が寄り添わないと、という気持ちだった。でも、スパッと辞めてよかった。そのおかげで新しい道が開けたと思います」
Cさん「同期で一番早く管理職になったのですが、母親の介護を機に働き方を変えました。培ったキャリアを放棄することになるとは思いましたが、自分の今があるのは母の支えのおかげ。今は、シングルマザーが仕事をしながら子育てをしているのと同じ経験をしていると思っています。偉くなりたかったわけでもなく、最前線でイキイキと仕事ができることがうれしいと感じています」
――今の女性たちの働き方、支援制度をどう思いますか。
Aさん「働く女性の後押しは何でもやったほうがいい。女性の意識は多種多様なので会社はそれに合う働き方のコースを用意し、職務に応じた報酬を渡せばいい。男女誰でも職種や地域を柔軟に選べ、行き来できれば不満が出ないと思う」
Eさん「子育てのために時短を取る理由を聞くと、フルタイムだと、いざというときに職場の周囲の人に迷惑をかけるとか、負担が大きくなることに自分が耐えられないという。そんなに恐れなくても子どもは強いから育つよ、踏み出してごらん、とアドバイスしています。でも、時短で早く退社して買い物を済ませてから保育園にお迎えに行くのは違うのでは。お迎え後、一緒に行けばいい」
Dさん「育児休業や時短勤務など支援制度はあるが、その期間をフルに使おうという人がいる一方で、早めに切り上げて仕事に復帰する人もいる。制度をどう使うべきかなどは、なかなか横からいえることではないと思う」
管理職育成、進む制度作り
――この30年間の女性管理職育成の流れをどう見るか。
Aさん「国や企業は女性だけでなく、ダイバーシティ(多様性)の旗振りのもと、飛躍的に支援体制や制度を整えてきた。しっかり運用されていくのかどうかは、これからと思います」
Cさん「10年前には考えられないぐらい急激に進んだと思います。ただ、女性管理職の数値目標があらかじめ設定されるのは、男女双方に失礼な感じがしました。(女性管理職の)絶対数が増えれば、いびつさがなくなるのかもしれませんが」
「やれるんだ」という人増える
Eさん「働き続けたいという人の願いを会社が少しずつかなえるようになりつつある。女性管理職の数値目標については、私は大歓迎。飛躍的に変わることで、やれるんだ、やりたいという人が増えてきていると思う」
(畑中麻里)
〔日本経済新聞朝刊2016年12月24日付〕
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