人生の岐路、父が背中押す レーサー・井原慶子さん
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はカーレーサーの井原慶子さんだ。
――人生の岐路で、背中を押してくれたのはお父さんの一言だとか。
「大学時代、進路について父に相談したときのこと。カーレーサーになりたいけれど、どうしたらよいか道筋も分からず、就職でもしようかと考えていました。そんなとき父が『これまで何もやり遂げていない。何の結果も残していないでしょ』と。グサッと刺さりました。他人任せというか、自分でも感じていた、ふがいなさを突きつけられた思いでした」
――その後、どう変わられたのでしょうか。
「とにかく自分にできるところから挑戦し始めました。まずレーサーに必要なスポンサーとの折衝力が身につくと考え、営業職として採用された会社に就職しました。ところが配属は倉庫。1日で退社しました。親には家から『出て行きなさい』と言われましたが、何とか説得し、アルバイトをしながらレーサーを目指す道を選びました」
「スーパーの総菜売り場やモデル、自動車インストラクターのほか、車の練習も兼ねて宅配便の配達もしました。父の言葉がなければ、なれるかどうか分からないものに夢中で向かえなかったですね。何があっても絶対になるという覚悟で進むくらいでないと、夢には行き着かないと分かったのです」
――厳しい方でしたか。
「テレビ局の営業職だった父は優しく、子どもの頃はたくさん一緒に遊びました。職場の集まりにも連れて行ってくれました。フランスのチームに参戦中、スポーツ科学研究所で精神分析を受けたことがあります。幼少期に多くの大人に遊んでもらったのが、私のメンタル面の強さを支えていると言われました」
――ご両親はレーサーを目指すことには賛成でしたか。
「父に打ち明けると『うちからは1円も出さんぞ。プロゴルファーを目指すなら投資するけど』と。でもダメとは言わなかった。大人だから止められないと思ったのでしょう。デビュー直後の記事を見せると『気を付けろよ』の一言。褒めてくれると思っていたのに、と少しさみしかったですが、黙って見守ってくれていたのだと今は思います。選手生命を賭けて臨んだ2014年の世界耐久選手権で、女性で初めて表彰台に立ったのを見てもらえてとてもうれしかったです」
――今、大学で教える傍ら、自宅で子どもに英語を教えていますね。
「自分が受けた多くの人の協力に恩返ししようと、始めました。世界各国を転戦し、日本人にもっと自主性と英語力があればと感じたのです。生死をかけてレースに出ていたからこそ人生は一度きりと実感しています。父が私にしてくれたように、自分で考え、道を切り開いていく人を育てたいです」
[日本経済新聞夕刊2016年6月21日付]
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