祖父母の教え、体の半分に 風間トオルさん
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の風間トオルさんだ。
――おじいさん、おばあさんと暮らしていた。
「おふくろ、おやじはそれぞれ僕が5歳の時に出て行ったので、祖父母は親代わりではなく『両親』そのものです」
「年金暮らしで貧乏でしたが、何が正しいか正しくないかなど2人から教わりました。今も何かを選択するときは、祖父母の思考が入っているし、僕の体の半分は2人からできていると思っています」
「特に祖母からは人を信じること、つながりの大切さを学びました。カニ売りの行商人が来たときのことです。身の上話にほだされ、かわいそうにと全部買ってしまったんです。行商人が喜んで帰る姿を見て『よかったね』と祖母。あしたからどうするの? と思っていたら、近所に配ってその日に食べてしまったんです。すると翌日から、お裾分けやお返しが届いて。人とのつながりがあれば何とかなる。つながりは多ければ多いほどいいと実感しました」
――貧しい環境だったからこそ、自然と学び取れたこともあるそうですね。
「朝晩のおかずはシャケとお味噌汁だけ。本当に食べ物がありませんでした。育ち盛りで足りなくて、公園の草を食べ、苦くてダメで口から出したことも。おかげで食べ物の危険を察知する感覚が鋭くなったようです。仕事で海外に行ったとき、これは食中毒になるかも、と食べなかったら自分だけおなかを壊さずに済んだことがありました」
「お金をかけない工夫もよくしていましたね。冬は日なたで暖まった石をカイロ代わりにポケットに入れたり、友達の家で夕食をごちそうしてもらえるだろうと、一緒に自由研究のテーマを考えたり。この自由研究では、多摩川の水を飲む体をはった水質調査をしたのですが、表彰されたんです。どうすれば物事がうまく回るか、見極める知恵のようなものが身についたように思います」
――高齢の祖父母との暮らしならではの大変なこともあったと。
「祖父は認知症で、汚物を家の壁に塗るなど大変でした。私にはどうしていいか分からない。こんなときに大人がいればと思ったこともありました。しかし、いない以上自分でやらなければ。翌日はテスト。それでも優先順位を付けて、どう行動すべきか考える習慣がつきました」
――それでも、今も大切に思っているそうですね。
「僕が24歳ぐらいで祖母は亡くなりました。2カ月に1回は墓参りを心掛けています。冷暖房もオモチャも無い、無い無い尽くしの生活でしたが、たくましくなれました。祖父の『言葉じゃなくて行動で示せ』『男は泣くもんじゃない』との言葉を今も守っています。子どもの時は一切泣きませんでした。今は少し涙もろくなりましたが」
〔日本経済新聞夕刊2016年6月14日付〕
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