アラスカに生きた星野道夫 没後20年、色あせぬ写真展
雄大なアラスカの大地に暮らし、自然や動物の姿を撮り続けた写真家・星野道夫。突然の事故死から20年たった今も、その写真やエッセーは色あせぬ魅力で多くの人々を引きつける。
幻想的にゆらめくオーロラやユーモラスな表情の白いアザラシ――。8月下旬から全国を巡回し、横浜市の高島屋横浜店で開催中(30日まで)の写真展「星野道夫の旅」。10年ぶりとなる個展には連日、開場前から多くの人が詰めかけ、一枚一枚の写真を熱心に見つめては「すごい」「かわいい」と言葉を交わす。
「ずっと待っていたと言ってくださる方もいれば、初めて来たという若い方もいる。10年前より、明らかに入場者の年齢層は広がっている」。9月中旬、大阪市の高島屋大阪店で開かれた写真展会場で、夫人の星野直子氏は目を見張った。
原寸大のポジ
星野道夫氏は1996年、ロシア・カムチャツカ半島での取材中、ヒグマに襲われて43歳で亡くなった。それまでの18年間、北米大陸最北西のアラスカに暮らし、自然や動物、人々を撮り続けた。写真展は約250点の写真やインタビュー映像などで同氏の業績を振り返る。実際に使ったカメラやカヤック、防寒服も展示。大きく引き伸ばされた写真やカラーのポジフィルムも見ることができる。
通常、写真集などに収録されて発表される写真は選ばれたものだけだが、フィルムには当然、その前後の写真も残る。直子氏は「星野はフィールドで過ごす時間も大事にする人だった。前後のフィルムも見ていただくことで、作品に流れる物語を感じてほしい」と展示の狙いを話す。
同様にポジフィルムの持つ味わいも含めて星野作品の魅力を伝えようとしたのが、9月に東京都港区のTOBICHIで開かれた「星野道夫の100枚」展だ。会場には原寸大のポジ100枚が並び、来場者はルーペを使ってそれらをのぞき込む。
子供連れで来場した30代の夫婦は、ルーペをのぞいて歓声を上げる子供と一緒に自身も楽しげだ。「写真に立体感があって、色も鮮やか。水しぶきのひとつひとつまで鮮明に見えて、普段見る写真とは印象が違う」と興奮した様子でポジに見入っていた。
同展の企画に携わった作家の松家仁之氏は「国語の教科書で取り上げられている文章で星野さんを知り、見に来た若い人も多い」と話す。若い世代の来場者はフィルムの写真をほとんど見たことがなく、ポジ自体が新鮮に映るようだ。
著作20万部超え
松家氏は「人間が手を加えていない自然や動物。次に何が起きるか予測できない世界。そうした、理屈では割り切れない世界を写す星野さんの写真は、理屈を求められがちな今の世の中に息苦しさを感じている若者こそを引きつけるのではないか」と語る。
星野氏の没後20年に当たる今年、「別冊太陽」(平凡社)や「BRUTUS」(マガジンハウス)、「Coyote」(スイッチ・パブリッシング)などの雑誌が相次ぎ特集を組み、人気に衰えはみえない。代表的な著作「旅をする木」(文春文庫)はロングセラーとなり、累計発行部数はついに20万部を超えた。
「旅をする木」の担当編集者で、星野氏の評論「星野道夫 風の行方を追って」(新潮社)を今年刊行した湯川豊氏は「星野氏の著作を読むと、彼が常に『人はどこから来て、どこへ行くのか』という問題意識を持ち、自然や原住民と向き合っていたことが分かる」と話す。実際、星野氏は原住民のルーツともいえる「神話=物語」に多大な関心を寄せていった。そして「今の時代にこそ新しい神話、新しい物語が必要なのだ、と語り続けたのが星野氏だった」と振り返る。
「西洋文明を中心としてきた現代社会は、星野氏が生きた20年前よりも今の方が行き詰まり、新しい神話や物語を求める気持ちは現在の方が高まっている」と湯川氏は指摘する。そうした閉塞感を打開する力が彼の作品にはある。それゆえ、「今も多くの人に読まれ続けているのだろう」と湯川氏は話している。
(文化部 岩本文枝)
[日本経済新聞夕刊2016年10月24日付]
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