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若い友人が春休み、小学生の娘と奥さんを連れて某テーマパークに出かけた。園内を巡る船から見える光景は、ヨーロッパさながらで実に素晴らしかったそうだ。

驚いたのは、ガイドさんが、見所を指し示し解説を始めた瞬間、一斉にとどろくカメラのシャッター音だったという。自分も写したかったが、気弱な彼は、圧倒されて写しそびれたという。

とりあえず写真バシャバシャ

どこかに行けば、何はともあれスマートフォン(スマホ)でカチャカチャ……。

すでにこの「異様な現象」について、私は日経Bizアカデミーに2013年1月10日付けで掲載したコラムで「今年は写真の撮りすぎに注意しましょう」と警鐘を打ち鳴らした。

同年9月には「現代ビジネス」で小林雅一さんが、「記録するより今を生きろ」と厳しく指摘。その年の暮れにはアメリカの心理学者が「写真を撮れば撮るほど記憶が薄れる現象」を発見し、「写真撮影減殺効果」と名付けた……なんていう「外電」まで報じられた(上記は全て「写真撮りすぎ」で検索すると瞬時にまとめサイトで見ることができる)。

残念なことにこれらの主張は完璧に無視され「とりあえず写真バシャバシャ」の傾向はとどまるところを知らない。

日本人だけではない。外国からの観光客も、はるばるやってきた京都だというのに寺院や庭園に背を向けて自撮り棒でバシャバシャ写真を撮ってはバスに戻り、次の自撮りポイントを目指しハードスケジュールをこなしている。

帰国してからじっくり京都の春を思い出せばいいと思っているかもしれないが、「液晶画面越しでしかじっくり見ていない光景」の何を思い出せるのだろう。

スマホで写真どころかノートも取るな!

大学で教える学生たちにも「とりあえずスマホ」が少なくない。私の板書をノートに取るより、とりあえずスマホでチャカチャカ組は増えるばかりだ。撮影した画面で「復習した」という声を聞いたことがない。「とりあえず撮って、どうしようというのか?」

「スマホでチャカチャカどころか、ノートに記録を取ることさえ望ましくない」

こう語るのは「熱誠指導に一切の妥協なし」をうたう某英語学校のF先生。私は去年の秋から生徒の一人となった。クラスメートはバリバリのビジネスマン。海外経験者も多い。キャリアアップを図る若者の中、もちろん最年長の私は「語学習得は何歳まで可能か?」という一大実験を敢行中だ。

「口頭英作文」という通訳技術を学ぶクラスでは、次々と新しい語彙や文法、便利な表現に出くわす。授業のテンポは極めて速い。

「これはノートに書き留め、家でじっくりかみしめたい」

ペンを走らせようとした途端、先生のツッコミがあった。「大事だ、と思った時こそ、書いてはダメだ。ノートに書く前、恥をかき、その場で、脳にたたき込め」とおっしゃるのだ。

実際、生徒は誰一人、下を向いてメモを取る気配はない。

のちに実感するのだが、メモする間に授業はどんどん進んでいく。これについていけないと焦るから熱心にメモを取る、メモを取るからまた遅れる。悪い循環に陥るから意地でもメモを取らずその場で覚える! メモなどとっていたら、今起きていることに参加できないからだ。

「授業についていくのがしんどいから、とりあえずノートに書いて、後でゆっくり調べて覚えようでは月謝を払う意味がない。取ったノートを読み返し、一人で学び取るにはライブ授業の何倍もの時間がかかる。苦しくとも、目の前の、現在進行中の授業に全身全霊を打ち込んで参加した方が合理的だ」

先生が口を酸っぱくして戒めるのが、とりあえずメモを取とって、後で見ればいいや、という安易な態度。

「その場と真摯に向き合わない」→「とりあえず記録は取る」→「後でじっくり見るつもり」→「実はただの先延ばし」→「いい加減」→「記憶せず」→「忘却のかなた……」

我々はこんな「残念なサイクル」に陥りがちだ。

暴言を吐き続ける隣の国の「偉い人」が視察に出かけるたび、取り巻きが熱心にメモを取る光景が思い浮かんだ。

「笑顔でメモを取らないと罰せられる」というプレッシャーが彼らをそうさせるものと、私は思っていた。しかし実は「こんなのにまともに付き合っていられないから適当に聞き流そう……」との「弱者の抵抗」だという見方もできなくはない(できないかも……)。

息子の写真を大量に撮った学者の後悔の念

話を戻す。

「授業中のとりあえずメモはお勧めできない」というF先生の信念は、「とりあえずなんでも写真に撮っておこう」という人々を戒める小林雅一さんの「記録するより記憶しろ」や、アメリカの心理学者が実験で導き出した「記録すればするほど記憶が薄れる」に通じるものと感じた。

ここへきてようやく「写真の撮りすぎ」を「記録依存症」と捉え本格的に「見直そう」という声が出てきた。

その一つが2015年7月15日の「HUFFPOST LIFESTYLE JAPAN」に掲載された海洋研究者クリストファー・レディーさんが投稿した記事だ。

「1歳の息子の写真を5000枚撮った。今、僕はすごく後悔している」

「息子」「写真」で検索すればすぐ見つかるが、簡単に要約しておく。

初めての息子誕生を心から喜んだ彼は、息子の成長や変化の記録を写真で撮り続けることが息子の利益につながると思っていた。科学者にとっては「データ」は多い方がいいに決まっている。息子の人生にも「データとしての写真は有益だ」と感じていたようだ。

その信念が「とんでもない高い代償を払うこととなった」と後悔する心情をつづっている。

日々撮影する息子の写真から、一番かわいく見えるものを選び出し、家族へ毎日定時に発信した。

喜んでもらえたから「もっといい写真を」と頑張った。その揚げ句、「さらにいいものを送らなければ」と写真の数も増えストレスも増大し、それがいつしかトラウマとなった……。

こんなことばかりやって、実のところ子供の成長に直接関わることはなかった。写真撮影にかまけて育児参加もしなかった……。

息子の成長する姿はいつでも「スマホの画面越し」での観察だった。

「こんなことで自分は本当に息子を愛しているのだろうか???」

はたと「気付いて」「写真撮影をやめて」「初めて父親になれた……」。大筋はこうだ(ぜひ本文を確認していただきたい)。

「とりあえずの先」が悩ましい

しかし、この記事を読んで「とんでもない父親がいたものだ!」と非難できるパパ、ママが、この日本にどれだけいるだろうか? 息子の写真を年間5000枚は一見すごいが、1日にすると「たかだか」13枚強だ。

スマホを常時携帯する昨今、生まれたばかりの我が子の写真を、1日13枚までしか撮ってはダメ、と言われる方がストレスだと告白する人も珍しくない気がする。

近所の公園で和む「子連れご一家」の多くは、写真撮影に極めて熱心だ。

「○○ちゃーん、ほらママの方に歩いていらっしゃい! あ、あまり大きく動いちゃダメ! 画面からはみ出しちゃうでしょう。じゃ、今度はアンパンマン持って、ジャンプしようか……。はい飛んでー」

ママなのか、雇われカメラマンなのかわからない人もいるのではないか。少なくとも、娘や息子をしげしげと見るのは「スマホの画面越し」という方は、そんなに珍しくないようにも思われる。

写真を撮って見るには最低1枚50円かかったアナログフィルム時代。当時子育てを経験した私は、今に比べればずっと抑制的に撮った写真のはずだが、それでも結構な量になっていた。

結婚する時「持っていくか?」と娘に尋ねたら、「とりあえず保管しておいて」と言われ、その後も我が家の納戸に寂しく収納されている。

子供の、おそらく万を超える写真のデータを、どういう基準でいつ誰が取捨選択するのか? 旅先で撮った数十万の映像をどうするのか? 膨大な「とりあえずの先」が悩ましい。

[2016年4月21日公開のBizCOLLEGEの記事を再構成]

梶原しげるの「しゃべりテク」」は木曜更新です。次回は5月12日の予定です。
梶原 しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。
著書に『すべらない敬語』『そんな言い方ないだろう』『会話のきっかけ』 『ひっかかる日本語』(新潮新書)『敬語力の基本』『最初の30秒で相手の心をつかむ雑談術』(日本実業出版社)『毒舌の会話術』 (幻冬舎新書) 『プロのしゃべりのテクニック(DVDつき)』 (日経BPムック) 『あぁ、残念な話し方』(青春新書インテリジェンス) 『新米上司の言葉かけ』(技術評論社)ほか多数。最新刊に『まずは「ドジな話」をしなさい』(サンマーク出版)がある。

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