旅から生まれた挑戦者(3) 世界歩き商売に目覚めハウステンボス社長 沢田秀雄氏

高校卒業の1969年には東京大学で入学試験が中止されるなど、日本中で学園紛争の嵐が吹き荒れていた。

大学に進学してもっと勉強したかった。しかし、60年代後半は全国各地の大学でゲバ棒を持った学生活動家がうろついていました。海外に出て勉強しようと、高校卒業後、4年間アルバイト生活を送って渡航資金をためました。

ドイツを拠点にして欧州など世界各国を旅行した

当時、留学先といえば、米国と英国に人気が集中していました。せっかく留学するのであれば、ほかの学生とは違う国に行ってみたいと、旧西ドイツを選びました。60年代には旧西ドイツも急速な経済発展を遂げていました。経済学を学びたいという思いもあり、経済が発展するドイツで勉強する価値はあると考えました。

まだ海外旅行が珍しかった時代で、留学先や渡航ルートも自分で調べました。とにかく旅費を安上がりにしたくて、片道7~8万円のルートを見つけました。横浜港からソ連(現ロシア)沿岸州のナホトカまで船で渡り、シベリア鉄道でオーストリア、西ドイツに渡るルートでした。

1973年、西ドイツのマインツ大学経済学部に入学する。

ドイツを留学先に選んだ理由には、旅行のしやすさもありました。欧州の中央に位置し、中近東やアフリカ大陸にも近く、世界を旅行するのに最適な地域だったのです。「世界すべてを見てやろう」とドイツを拠点に中南米アメリカ大陸にも足を伸ばしました。オーストラリアと南極を除くすべての大陸を旅行し、ドイツ留学中の渡航先は50カ国を超えました。

数カ月の旅行は当たり前で、あまりぜいたくはできない貧乏旅行でした。食事はバナナと水だけという日も多かった。アフリカを旅行した際には途中で旅行資金も尽きて、ヒッチハイクでドイツに戻りました。それでもお金は必要です。そのため世界中のどの国でも換金できる物品を携行するようにしていました。

この頃には海外で日本製品への「安かろう悪かろう」というイメージは払拭され、むしろ重宝されました。旅先にはニコンの一眼レフカメラ2台とセイコーの腕時計を携行し、一眼レフカメラの1台は現地でいざという時に換金するための物でした。

セイコーの腕時計も人気でした。インカ帝国の遺跡のあるペルーのマチュ・ピチュでは、宿主から「セイコーを売ってくれ」とせがまれました。「この腕時計は親からもらった大事な品だ」と嘘をついて売れないと伝えると、彼はもっと欲しくなって、値段を引き上げてきました。結局、購入したときの3倍の値で売れました。

旅先で値切って買った民芸品を、ドイツののみの市で数倍の高値で売っていました。あれほど嫌いだった価格交渉や商売をするようになっていました。ドイツでビジネスの醍醐味に目覚めました。

[日経産業新聞2016年1月5日付]

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