出世ナビ

私の履歴書復刻版

円満退社――母が急死、ついに決意 工場の身売りもショック ニッカウヰスキー創業者 竹鶴政孝(22)

2015/2/19

山崎工場で最初に仕込んだ原酒、つまり大正14年、15年(1925、26年)ごろの原酒が熟成して古い原酒として一人前になったのは、伏見宮殿下が山崎工場をご見学になった昭和6年(1931年)ごろである。その年4月、日本産業協会の総裁であった殿下を山崎にお迎えし、私も張り切ったが、このときの鳥井さんはこれまでの苦労が報われたような喜び方であった。殿下は海軍武官として英国に3年駐在されたことがあるだけに、ウイスキーには詳しかった。人一倍興味をもたれ、いろいろご質問を受けた。

昭和6年8月、満州事変が起きるひと月前に、私は3回目のイギリス行きのため日本を発った。このときは、鳥井さんの長男吉太郎さんが寿屋の後継者として必要な知識を得るために、ウイスキーやぶどう酒の本場を視察する案内役としての旅行であり、私にとっては、妻リタの帰郷旅行も兼ねたものであった。

吉太郎さんは、神戸高商(後の神戸大)を卒業後、寿屋を継ぐために鳥井さんの仕事を手伝いながら勉強されていた。私の家に同居して、いっしょに生活したこともあり、妻のリタともたいへん親しかった。

吉太郎さんを案内して、スコットランドの蒸留所やフランスのぶどう酒の本場ボルドーを初め、欧米を回って帰ったのは翌7年(1932年)の2月であった。

スコットランドの蒸留所も、そこに住む人たちの静かな生活も昔のままであったが、DCLは、英国の五大ウイスキーのなかで最後まで残っていた「ホワイトホース」まで傘下に入れていた。そしてDCL中心のスコッチの現代史がすでに始まっていたのである。

日本では、本格ウイスキーづくりは初めての事業で第一歩を踏み出したばかりであったが、寿屋のビールは、既存の勢力への挑戦であった。

このビール部門をウイスキー部門から分離して独立採算制にすべきであると私は思っていたが、結局同じ経営のもとでやることに決まった。私は、製造も販売も長期型のウイスキーと、量産型のビールは別経理にしなくてはならないという意見であったが、採用されなかったのである。

「ビールのために、ウイスキーを縮小することはしない」鳥井さんはこういったので、その方針のもとに私はウイスキーとビールの両工場長を兼任していた。

昭和4年(1929年)、「新カスケードビール」を出したが、このときはビール各社の1本33銭に対抗して、1本29銭という値段で市場に送り込んだ。そして昭和5年(1930年)、「オラガビール」と名前を変えた。

オラガということばは、その当時の流行語の一つであった。総理大臣をやり、政友会の総裁であった田中義一大将が、自分のことをしょっちゅうオラガ、オラガといっていたが、このことばの流行は当時の庶民感情とマッチしていたのでビールの名前に採用したのである。オラガビールは1本27銭とさらに値下げをするとともに、広告と販売に攻勢をかけた。しかし、安かろう悪かろうという世間一般の考え方もわざわいして、売れ行きは思ったほどあがらなかった。

昭和8年(1933年)、ビール業界の正常化が叫ばれ、関西では「ユニオンビール」が朝日麦酒に合併され、関東では「オラガビール」の買収の話がもち上がってきた。それと前後して私のところへは本社から工場拡張工事の命令が出た。そこで大林組に見積もらせて、基礎工事にかかっている最中に麦酒共同販売(後の東京麦酒)に工場と企業のいっさいの売り渡しが決定したのである。売り渡し価格は300万円で、当時としては大変高く売れ、寿屋にとっては有利な取り引きとなった。しかし工場長である私にとってショックであったことはいうまでもない。

そのとき、たまたま郷里の私の母が病気になった。私はすぐかけつけたが、臨終に間に合わなかったのはかえすがえすも残念だった。

人間、こういうときは感じやすくなるのであろう。私もそろそろ40歳になる。「独立しよう」とかたく決意したのはそのときだった。

とはいえ、鳥井さんとはけんか別れではなく円満に退社したのである。もともと契約は10年の約束であったし、私はつねづね自分でウイスキーづくりをしたいと思っていたので、その期限の来た昭和7年に退社したいと申し入れたが、留保されていたのだった。とにかくあの清酒保護の時代に鳥井さんなしには民間人の力でウイスキーが育てられなかっただろうと思う。そしてまた鳥井さんなしには私のウイスキー人生も考えられないことはいうまでもない。

>>第23回 自立の第一歩――北海道の余市に工場

この連載は、昭和43年5月~6月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および「私の履歴書 経済人 第11巻」(日本経済新聞出版社)の「竹鶴政孝」の章を再掲したものです(第1回はこちら)。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日では不適切とされる表現や行為の記述などがありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。
新聞の連載は上記の本のほか、ニッカウヰスキーが私家版の単行本「ウイスキーと私」にまとめ、これをNHK出版が改訂復刻してこの8月、同じ「ウイスキーと私」のタイトルで刊行されています。

[日経Bizアカデミー2015年2月19日付]

出世ナビ 新着記事

ALL CHANNEL