キンメダイ 煮ても焼いても刺身でも、なめろうでも
実家に帰省するとき、「嫁」であるか、「娘」であるかによって、その過ごし方はまったく違う。
買い出しから料理、後片付けまでテキパキとこなすのは、義実家での私。お酒もほとんど飲まない。
しかし自分の実家では話は別。買い出しついでに海で遊びすぎて「早く帰ってきなさい」と叱られたり、買い過ぎた食材のうちどれを食べるかで兄弟喧嘩をしたり。飲みながら、妹や姪とふざけながら調理していると、しびれを切らした母に「もう、まかせておけない!」と食材を取り上げられるのが、いつものパターン。
先日もアクアパッツァにしようと買ってきたキンメダイを、ふざけている間に勝手に煮付けにされてしまった。
ところがその煮付けが素晴らしかった。
煮魚なんかワインに合わない!とおかんむりだった姪も、母よりはずっと料理がうまいつもりでいた私や妹も、時折うなりながら無言でほおばるだけ。そういえばキンメの煮付けとは、こういうものであった。子どものころから食べつけている煮魚とは、こういうものであったと、目がさめる思いだった。
真っ黒な煮汁に浮かぶ、真っ赤な皮と真っ白な身。脂ののった身はふうわりと甘く柔らかく、そしてうまみがあり、私にとってソウルフードならぬソウル魚は、キンメダイなのだと痛感した。
ともかく、私の故郷・房総はキンメなのだ。刺身もキンメ、煮魚もキンメ、焼き魚もキンメ。
鍋に入れても最高だし、アラやシッポの味噌汁の美味しさに匹敵するものは、他にちょっと思いつかない。
寝坊して朝ごはんを食べる時間もないのに、キンメのアラの味噌汁が食べたくて、学校に遅刻したこともあるくらいだ。
なめろうにもキンメを使う。
房総名物・なめろうは、アジ、真イワシ、セグロイワシ、ウルメイワシ、トビウオ、サンマなどの青魚を使うことが多いのだが、その日獲れた地魚なら何でもありという人も多く、うちの実家でもバリエーション豊富。キンメ好きな家だったので、キンメのなめろうもしょっちゅうだった。
そういえば名古屋でやっていた店でも、日替わりで、何でもありなめろうを出していたっけ。
しかし、名古屋ではキンメダイを買うのに、少々苦労した思い出がある。
三重県ではいいキンメが獲れるのだが「愛三岐」の東海三県にあまり食べる風習がなかったため、ほとんどが東京へ出荷されてしまうのだ。
市場で買おうとすると「どうやって食べるつもりなの?」と珍しい目で見られたことも、一度や二度ではない。
まして刺身で食べるというと、何十年も魚を扱っている魚屋でも「刺身なんて聞いたことがない。生で食えるの?」と逆に質問してくる始末。
この数年で認知度は劇的に変化したが、それまでキンメはもっぱら南関東から静岡にかけてのローカル魚でしかなく、さらに刺身は海辺のまち限定に近いもだった。
流通事情が悪かった時代と比べると、本当に今は様々なものが食べられる。昔は地元でしか消費しなかった・消費できなかった魚が、流通が良くなったおかげでどんどんよその土地へと運ばれていく。
黒潮を泳ぐ魚しかなかった房総にも、親潮を泳ぐホッケや八角が売られている昨今。昭和51年に書かれた作家・陳舜臣のエッセイに、ハモが東京にないことを嘆く記述があるが、今ちょっといい和食屋でハモを出してない店を探す方が難しいだろう。
食いしんぼうにはいい時代になったものだ。
幸いにして東京ではキンメを買うのに事欠かない。キンメしゃぶしゃぶや、味噌仕立ての鍋も魅力的。しょうゆ漬けにして、握りずしにしてもおいしい。
キンメの魅力、ぜひご堪能を。
(フリーライター じろまるいずみ)
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