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俳優、野島直人さんと新宿のうどん屋さんで楽しく飲んだ。これが韓国ソウルの街なら人垣ができて大変なことになったはずだ。彼はソウルの劇場街、大学路(テハンノ)でロングランを続ける"行列のできるミュージカル"として有名な「パルレ」で主役を務める人気者だからだ。

俳優・野島直人さんを一躍スターにした「アクシデント」

韓国で生まれ、多くのファンに支持されるこの作品の日本版が東京で上演されたのが2012年。当時30歳そこそこの若者は、劇団四季やレ・ミゼラブル、ミス・サイゴンでの実績を買われ、主役に抜てきされた。とはいえ、それはあくまで「日本版」限定だ。

野島さんが「日本でも韓国でも主役」という今の地位を築いたきっかけは、東京で行われた再演初日の「あり得ないアクシデント」だった。

主役の彼が舞台中央で高らかに歌い上げるここ一番のクライマックスシーンで、いきなり伴奏が、消えた! 音声機器のトラブル発生だ。相手役の若い女優さんが息をのむ。袖で控える共演者やスタッフたちだって、パニックになっても不思議ではない。華やかな音楽に包まれた会場が一瞬にして「無音状態」になったのだから。

舞台で大事なことは「あり得ない! と思うな」

ところが野島さんといえば、平然と、何もなかったように、アカペラで歌い続けた。

梶原:「心の中では、あり得ない!と頭真っ白状態でしょう?」
野島:「それがですねえ、大事なのは『あり得ない! と思うな』というのが生の舞台の原則なんです。『あり得ない!』なんて言葉を吐いて、主役が憤ったり慌てたら、お客様を瞬時に夢の世界から現実に引き戻してしまう。『あり得ないなんて、あり得ない』が正解じゃないですか?」
梶原:「そうは言っても、最後までアカペラだったらどうしよう、『ありえねー!』と、不安にかられないものですか?」
野島:「生演奏ではなく『カラオケ』を使った舞台では、あるレベル以上の劇団なら『バックアップシステム』を備えていることを出演者は知っていますから、思った以上にパニックにならないものです」
梶原:「バックアップシステムを使った体験、ありました?」
野島:「はい。某劇団では、生演奏ではないカラオケの場合、2つの電球を点滅させて正しいリズムを刻む電光装置を使うんです」
梶原:「ほー、客席からは見えないところでの指揮棒の役割を果たしているんだ……」
野島:「はい。ところがある時、2つの電球ではなく、いつもは光らない第三の電球がチカチカし始めました」
梶原:「緊急事態発生?」
野島:「ええ、落雷の影響で電源の一部がダウンしたと後で知ったのですが、その時ステージにいた先輩方の対応は見事なものでした。皆、動じることなく自然に歌を続け、アドリブでセリフを紡ぎだし合い、警告ランプが消えるまでつないで、ベストのタイミングで音声復活場面にリードしていくんです」
梶原:「生の舞台では、あり得ない事態は、十分あり得るんですねえ……」
野島:「『あり得ない!』とつぶやく前に私は、復旧を信じ、それまでに自分に何ができるかを考えます」
梶原:「突発事故もあり得るし、また復旧もあり得る。復旧のために仲間が懸命に動いてくれていると信じる。考えるべきは、その時自分は何をするかだ!」
野島:「何でもあり得る。起こり得るけど復旧もあり得る。そう信じるからこそ慌てず、不安な空気にのまれない。私が『無音状態発生』の時、唯一考えたのは、音響さんが再び音楽を流し始めるタイミングをつかまえやすいように、しかもお客様に感づかれないよう『微妙な業務連絡事項』を伝えあうことでした」
梶原:「具体的には、"間"を使ってですか?」
野島:「"間"というより、もっとわずかな、"気配(けはい)"ですね」

 再演初日の劇場では、結果的には5分ほどで電源復活。ここしかない、というポイントで音楽が「スーッ」と立ち上がり、歌と混じり合ったからお客さんはどなたも違和感を抱かなかったらしい。むしろ「こういう演出もあったのか?!」といつも以上の感動として受け止められたのだろう。

韓国語のセリフがアタマに入らない……

「あり得ない!」と嘆いて早々に諦めるのではなく、「あり得ない場面だからこそ新鮮な感動を喚起できるかもしれない」ぐらいの貪欲さが「生の舞台」には必要らしい。すぐ「何だよ、ありえねー!」弱音を吐く私にこそ必要な精神だと反省した。

そして「あり得ない事態」こそが、野島さんの「韓国でも主役」という夢を叶えることとなった。

2012年の年末。韓国の「パルレ・カンパニー」は上演2000回を記念したイベントを予定していた。野島さんの「機転の利かせぶり」を目の当たりにした韓国スタッフから、「こういうタフな根性を持った彼を韓国版の主役に据えてみる企画はどうか?」との声が上がった。

「……というアイデアなんですが、できます?」

韓国のプロデューサーに問われた野島さんはためらうことなく「もちろんです」と答えてしまった。

梶原:「潔いですねえ」
野島:「『あり得ない』と言わない主義の私は『無理です』も言えないんです」

しばらくたって、ハングルで書かれた、韓国で実際に使われている台本が送られてきた。本番まで1カ月だという。

野島:「さすがに『あり得ない!』とも思いました。思いましたが『あり得ないことはあり得ない』という信条を曲げるわけにもいきませんし……ま、でも……」

韓国語知識ゼロ。ハングルの洪水を前に、呆然とする彼を見かねた友人が紹介してくれた大韓航空東京支社のスタッフが、台本のハングルを全てカタカナ表記にしてくれた。

「言語的な違いがあるとはいえ、中身は私が日本で演じているものと同じじゃないか。意味がわかっているから毎日4~5時間、ひと月やればなんとかなる」

この「甘い見通し」は見事に外れた。

「まるで頭に入らない、全然記憶に残らない!」

気がついたら、毎日10時間以上、全てのセリフを繰り返しノートに書き写し読み上げていた。まるで写経の日々だ。ヘトヘトになり、ようやくセリフが勝手に口をつくか、つかないかというレベルになったところで当日を迎えた。

外国人不法就労者役、「あ、今の俺だ……」

これが韓国流なのか? 日本とは異なり、打ち合わせだの、リハだの、という手順をさっさと飛ばし、いきなり本番だ。「この乱暴さは、あり得ない……日本なら……」と、私なら言うが「あり得ない」とともに、「日本なら」という言葉も封印する彼は「はい」と一言答えたようだ。

ちなみに外国生活で失敗する人の多くが、「あり得ない」と「日本なら」という、この2つの言葉を常用するものらしい。グローバリゼーションのキーワードは「なんでもあり」なのだ。

あれだけ練習したというのに、実際に共演者とセリフのやり取りをすると、随所に聞き取れない箇所が出てくる。

「自分のセリフと相手のセリフがかみ合っているのだろうか?」

話すときの相手の目を覗き込み、耳を近づける「不安げな表情」が相手にも観客にも、確実に読み取られている。情けない……。

「やっぱり、あり得ないのかもなあ……」

いつになく弱気になった野島さんの「不安そうな表情」が、何と逆に観客に好印象を与えた。彼の役は、モンゴルから入国した外国人不法就労者だ。そんなことは百も承知で主役として日本で演じてきた。ところが実際に冷静に今の自分を見てみれば、「あ、今の俺だ……」だった。

「異国の地で十分に言葉が通じない外国人役」を見事に演じてきた野島さんが韓国の舞台に立った時、実際に「韓国語がよく分からない外国人」そのものなのだから「話の聞き方が一段とリアル!」に見えたのか。

最初はスペシャル企画としての"臨時主役"だった野島さん。今ではレギュラー主役の一人として、現地で高く評価されている。「あの人の外国人役は実にうまい」と感心する現地の客の中には、野島さんが日本人であることさえ知らない人がいる。それだけ現地で「認められた」ともいえる。

「あり得ない!」と愚痴る前に、「あり得るかもしれない」と受け止める者にチャンスの神がほほえんだ。私も心を入れ替えなければ……。

[2016年4月7日公開のBizCOLLEGEの記事を再構成]

梶原 しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。
著書に『すべらない敬語』『そんな言い方ないだろう』『会話のきっかけ』 『ひっかかる日本語』(新潮新書)『敬語力の基本』『最初の30秒で相手の心をつかむ雑談術』(日本実業出版社)『毒舌の会話術』 (幻冬舎新書) 『プロのしゃべりのテクニック(DVDつき)』 (日経BPムック) 『あぁ、残念な話し方』(青春新書インテリジェンス) 『新米上司の言葉かけ』(技術評論社)ほか多数。最新刊に『まずは「ドジな話」をしなさい』(サンマーク出版)がある。

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