巨大地震 トヨタにみる災害時のリーダーシップ
トヨタ「伝説の技監」林南八氏はどう動いたか
2011年の東日本大震災で、ルネサスの工場は大きな被害を受けた(茨城県ひたちなか市)
2007年7月16日、中越沖地震が発生。
はやし・なんぱち 1966年(昭41年)武蔵工大(現・東京都市大)卒。トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)入社。生産調査部長などを経て01年技監。09~11年取締役。11年から再び技監に戻り、現在は顧問 東京都出身。
地震の規模は大きくなかったものの、エンジンに使うピストンリング専門メーカーのリケンが被災。全自動車メーカーが生産停止に追い込まれました。復旧にあたって、阪神大震災で私の副官をつとめてくれた朝倉正司君から「今回は私が仕切ってきます」との申し出があり、彼に任せることにしました。
短期間で生産再開にこぎつけたものの、阪神の時とは違い、リケンのラインは各社のピストンリングが混流生産されています。皆が我先に自社の製品を仕掛けようと大混乱。朝倉君が一喝してフェアなやり方を確立してくれ、各社が同じ時期に生産再開できるようになりました。出番がなく寂しい気もしましたが、しっかり伝承できたと安堵の気持ちもありました。
11年3月11日、東日本大震災発生。
度重なる危機に常にグループの総力を挙げて対応してきたため、我々は危機対応能力には自信を持っていましたが、マグニチュード9.0というとてつもなく大きな地震で東北地方は壊滅的な被害を受けました。
2011年の東日本大震災で、ルネサスの工場は大きな被害を受けた(茨城県ひたちなか市)
トヨタ自動車の調達部門の動きは早く、サプライチェーンを整理したら、659拠点の復旧が必要と判明。グループの総力を挙げての対応が始まりました。生産部門の復旧総指揮は白根武史専務(現トヨタ自動車東日本社長)が執っており、私(当時取締役)のような年寄りが前線に行くことはあるまいと思っていましたが、マイコンメーカーのルネサスエレクトロニクスが甚大な被害を受けていると連絡が入りました。
ここは自動車関係だけでなく家電やコンピューターなど他業界も関係しています。そのため業界を超えて顔が知られている私が指揮を執るのが適任ということで、前線に出向くようにとの依頼を受けました。今回は各社バラバラに支援するのでなく、日本自動車工業会でまとまって支援することがトップ会談で決まっていました。事の重大さから頼りになる当時部長だった朝倉君を同行。4月1日に現地に乗り込みました。
今回はホンダからは綾部雅彦氏、日産自動車からは吉田朝明氏を筆頭に優秀なメンバーが現地対策本部へ詰めてくれることになりました。当社からは好田博昭主査、星野豪志主幹、五十子泰宣主幹ら若手が先行して入ってくれていました。
半導体のクリーンルーム内には有毒ガスや有毒液体の配管が張り巡らされており、1700台の半導体処理に使われる高精度な設備がゴチャゴチャにひっくり返っていました。先方の見積もりではクリーンルームのインフラ整備に2カ月半、設備の精度出しと試運転に2カ月半、ライン充足を考えると納入先が生産再開できるのは翌年の1月中旬ということでした。