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私の履歴書復刻版

第23回 経営は芸術、賃金でも欧州抜く(下) 松下幸之助(パナソニック創業者)

2012/1/5

松下幸之助 パナソニック創業者

第1次の資本の自由化が近づいた昭和42年2月、私は京都・宝ケ池にある京都国際会議場で開かれた第5回関西財界セミナーで、資本自由化について私の考えを述べる機会をもった。

私は、その中で、日本の経済界が真に一人立ちになるためには、資本の自由化は避けられないことであり、むしろ、積極的に求めるべきである。それが日本の国家、国民全体の立場から考えてプラスになる、と話した。私は、前にも述べたように、この年の1月の経営方針の中で「いまこそ、日本は戦後の20年間を反省し、再出発すべきときである」と従業員に訴えたが、このセミナーでも、私はそれと同じ気持ちで、出席されている財界の方々に所信を披瀝【ひれき】したのである。

そして私は、「経営の価値ということにも言及して、日本の企業をより一層力強く発展させるためには、お互いが経営の価値を高く評価して、外国の企業にそれを認めさせるとともに、経営にみがきというものをかけていかなくてはならない。そのみがきをかける一つとして、私は本来高い価値をもった経営について『経営とは芸術なり』という見方もできる」と話した。

つまり、芸術は、非常に価値の高い創造活動であるが、経営もそれと同じように高い価値をもった創造活動といえるのではないだろうか。例えば、いま1枚の絵を描くという場合、絵を描くには、鉛筆なり絵の具なり墨なりを使って、さまざまな方法で白紙に何かを創造していくが、できあがった作品が、それを見る人に「これはすばらしい絵だ。この絵には作者の魂が生き生きと躍動している」という感動を起こさせるなら、その絵は立派な芸術作品といえる。同じように、企業経営も、経営者はまず基本方針を定め、人なり資本なりをどのようして調達するか、工場はどういうものを建てるか、また何をどうつくり、売るか、ということについて、白紙の状態からひとつひとつ積み上げ、各方面にわたるバランスを図って、細かい心くばりのもとに経営を進めていく。

言うなれば、絶えざる創意工夫を通じて、無から有を生み出し、あらゆる面でよりよい創造活動を行なっていくのが経営であると思う。だから、それらの経営活動が、非常に適切にバランスよく行なわれるならばそこに経営者の生命が生き生きと躍動した姿であらわれ、それを見る人に大きな感動を与え、すばらしい経営だな、と嘆賞されるようなものが創造されてくる。私は、経営というものは、本来このように非常に高い価値をもった芸術的行動だと思う。

ところが、残念なことに、世間はそう評価してくれない。徳川時代に「士農工商」といって、商売を低くみた見方が、いまだにあり、商売は金もうけのためにやっているのだ、と低位に考えられている。しかし、私は決してそんなものではない、と思う。人間の共同生活を、よりよい姿に変えていく、という総合芸術が、商売なり経営なりに息づいている。そして、その中には真理が含まれており、善も美も生かされていて、国家社会のために大きな貢献をするものが、われわれの経営である。そう考えると、お互いは総合芸術家といえよう。

私は大要、このようなことを話したが、資本の自由化という問題を前にして、これがなければ、本当は、経営の芸術活動というものもやりにくいのではないか、という意味のこともつけ加えた。こういう絵を描けとか、こういうふうに線をひけという規定があったら、自由奔放な芸術作品は生まれてこない。それと同じで、経営においても自由経済であることによってはじめて、思うように経営者の創造活動ができるのではないかと思う。

だから、資本自由化を前にして、逃げ腰になるのではなく、総合芸術家としての腕を思う存分ふるえる絶好の機会だと考えたらどうか。そういう気概というか、経営の価値を自ら認めることによって、資本の自由化に臆することのない力強い経営というものが生まれてくるのである。

経済学では、経営の芸術性ということは教えていないと思うが、このことは、もっと一般に認識されてもいいと思って、資本の自由化に処する経営者の心がまえの一つとして“経営は総合芸術ということを、はっきり認識すべきである”と話したのであった。

この連載は、昭和31年8月および昭和51年1月に日本経済新聞に連載した『私の履歴書』をまとめた本「松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書」(日本経済新聞出版社)を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日、差別的とされる語句や表現がありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

[日経Bizアカデミー2012年1月5日付]

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