出世ナビ

私の履歴書復刻版

第20回 “ダム経営”のもと週5日制へ(上) 松下幸之助(パナソニック創業者)

2011/12/19

松下幸之助 パナソニック創業者

業界安定のために、営業本部長代行という姿で取り組んできた私は、昭和40年2月、岡山県の倉敷国際ホテルで開かれた第3回関西財界セミナーで「ダム経営と適正経営」という題で講演をした。借金経営が一般化し、信用膨張でうたかたの繁栄をみせていた日本経済が、金融引き締めや景気後退などによって、ペシャンコになったときだけに、私の講演には大きな関心が寄せられていた。私は、この講演の中で、堅実な欧米の企業経営を例にあげて、自己資本による自主経営の大切さを大要次のように説いたのである。

ナショナル自転車を持って(昭和40年春)

「わが国の各企業は戦後、借金経営でここまでやってきた。それはいわば非常時であったから、それでよかったかもしれない。しかし戦後20年たった今日のわが国は、もう戦後の非常時ではない。いわば常時と考えなければならないと思う。そうすると、戦後の特殊な事情のもとで許されてきた信用膨張、借金経営の姿を、いわば当たり前の姿として今日にそのまま当てはめることは好ましくない。もうそろそろ、常時における会社経営のあり方というものに、考え方を切り替えていかねばならない。アメリカのように余裕のある、安定した経営の姿に移行させていかねばならない。そういう決意をすべきときにきていると思う。その一つの経営のあり方として、私は、ここで“ダム経営”というものを提唱してみたい。

ダムというのは、なんのために造られるかというと、川の水を流れるままに放っておいて、その値打ちを生かさないというのはもったいない。また、もし一度に水が増して洪水になれば、多くの被害が出るし、日照りになって水が足りなくなっても困る。そこで河川の適正なところにダムを設けて流水の調整を図り、あるいは水力発電に利用するわけである。つまり、天から受けた水は、一滴もムダにしないで有効に使おうじゃないかというのが、ダムを造る目的だと思う。また、そうしておけば安全である。会社の経営についても同じことが言えるのではあるまいか。つまり経営にもダムが必要ではないかと思う。

私の言う“ダム経営”とは、最初から、例えば1割なら1割の余裕設備をもっているということである。そうすれば、経済的に少々の変動があったり、需要の変化があったとしても、それによって品物が足りなくなったり、値段が上がったりすることはない。そのときは余分の設備を動かせば事足りる。その逆に、もし品物が余り過ぎるようだったら、設備を少し余計に休ませればよい。これはあたかもダムに入れた水を必要に応じて徐々に流しているようなものだ。資金、在庫、人材にも同様のダムが必要である。

このダム経営の意義をお互いに正しく認識してやっていくならば、健全で利潤の高い経営の姿に移行することができる。そして、ダム経営によって社会に真の安定的繁栄がもたらされるのである」。

私のこの“ダム経営論”は、大きな反響を呼んだのか、質問も多かった。そこで私が、私の会社はすでにダム経営を心がけてやってきている。借金経営をなんとかやらないできている。私は自分で信じてやっていることをみなさんにもお勧めしたいのだ、と言うと、2、3の人から同じような意見が出た。

「そりゃ、松下さんのところはうまくもうけているから、そんなこと言えるけれど、われわれの方は、なかなかそうはいきません。調整するためのダムというのはよく分かるが、実際にそんなに利益はない。目いっぱいで配当しており、ダムまではとても及びませんよ」。

そこで私は「それはあなたの決心の問題ですよ。そういうことをやらねばと決意すれば、それなりにできるものです。あなたは、もっと強い心をもたないとだめですよ。アメリカの企業は現にやっているのだから、われわれもやったらいいと思ってやらないとできませんよ。日本と同じように戦争に負けたドイツでも、日本の企業より、自己資本はずっと多いじゃありませんか」と答えたのである。

この講演をやってから、もうかれこれ15年になるが、今日、日本の企業に“ダム経営”が完全に定着していないのは残念でならない。日本では、まだ会社経営に対する経営者の決意が不足しているのだろうか。

私は昭和35年1月の経営方針発表会で、「やがてわれわれは国際舞台で商売の真剣勝負をやらなければならなくなる。国際競争に打ち勝つためには、ひとりひとりが能率を2倍にも3倍にも上げ、欧米の一流企業と立派に商売をやって、一歩もひけをとらない、という姿にもっていかないといけない。そうすると、1日8時間働くと相当疲れる。だから5日間働いて1日は余分に休まないことには、体はもとに戻らない、余暇を楽しむことができない。つまりアメリカのように週5日働いて2日休む、ということが必要になってこよう。そういう姿を実現して、なお国際競争に打ち勝っていってこそ、真の成功といえる。私は、松下電器を5年後にそのような姿にもっていきたい」と、述べた。

ところが、目標の5年後にあと2年と近づいた昭和38年ごろから、当初は賛成していた労働組合内部に反対意見が出てきた。「そんなうまい話はない。給料も減らさない。待遇も従来通り。それでいて1日余分に休めるということは、何か裏があるに違いない。あるいは、労働強化につながるのではないか。だから、うっかりその話にはのれない」とこう言うのだ。そして、いろんなことを私に質問してくるようになった。

私は労働組合に対して誠意をもって、私の考えを繰り返し説明した。そして、みなさんも研究してほしいと要望した。労働組合にしてみれば、こんな結構なことを組合から要求したのではなくて、会社から提案されたことに、何か割り切れないものを感じ、いろいろな疑問が起こってきたのだろう。そんなこともあって、やがて、会社と労働組合の両方から委員が出て、週5日制への移行について、具体的に検討してもらうことになった。

しかし、5年後の昭和40年といえば、日本の経済界が不況のどん底にあり、週5日制を実施するには、非常に困難な状態であった。日本の各方面からも、本当に松下電器は週5日制を実施するのだろうか、という疑問をもたれたし、計画通り実施に踏み切るには、並々ならない決意が必要だった。実施後、途中でやめるようなことがあったら、世間の人たちのもの笑いになる。いや、松下電器だけが笑われるなら、まだいい。日本が欧米に恥をさらすことになる。そうあってはならない。私は大きな決意をもって週5日制の実施に踏み切ったのである。

この連載は、昭和31年8月および昭和51年1月に日本経済新聞に連載した『私の履歴書』をまとめた本「松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書」(日本経済新聞出版社)を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日、差別的とされる語句や表現がありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

[日経Bizアカデミー2011年12月19日付]

出世ナビ 新着記事

ALL CHANNEL