戦略の本質~差別化とは「バカ」と言われること
吉原英樹著「『バカな』と『なるほど』」(1)
本書が最初に出版されたのは今から30年近く前です。それが最近になって復刊されたのにはそれなりの意味があります。経営学修士(MBA)ブームなどと言われながら、難しい専門用語やフレームワークに踊らされがちな学者やコンサルタントを一刀両断にする切れ味に、やっと時代が追い付いてきたということではないでしょうか。
まず、タイトルがいい。一言で戦略の本質をついています。他社に勝つ=差別化ということは、他社から「バカよばわり」されるくらいでなくてはいけないのです。そう言われたくないためかどうかはわかりませんが、「他社がやっているから、当社も」という企業がいかに多いことか。
慶応大学ビジネススクール 清水勝彦氏
5年前に日本に帰ってきたとき「飲み放題」が多くて感激しましたが、この典型です。最初は「バカな」だったのかもしれませんが今は「あたりまえ」で、とても差別化の源になっているとは思えません。むしろレッドオーシャンの良い(悪い?)例です。
一方で当然ですが、ただバカなだけでは経営は成り立ちません。顧客ニーズをつかみ経済的に成り立つ合理性がなくてはなりません。本書にもあるように、一見「バカな」と思われる戦略も、よくよく見てみると非常によく考え抜かれていることがわかります。
気をつけなくてはならないのは「よい戦略には合理性がある」ことと「合理的に考えればよい戦略が生まれる」ことは全く違うことです。多くの情報へのアクセスが可能な現在、ロジックやフレームワークは一般的な、誰にとっても同じ答えをもたらします。
成長分野と言えば、医療、インフラ、農業。よしと思って入ってみると、多くの企業の新規参入が集中し過当競争でもうからない…そんな話です。差別化を求めるには、「バカ」にならなくてはならないのです。IBMのワトソン君に対して人間が勝てるのはそこなのです。
ケーススタディー 論理だけでは世界が破綻する
「バカな」と「なるほど」が両方ないと、いい戦略そして企業としての結果は出ないのですが、多くの企業で見られるのは「なるほど」偏重、もっといえば「そつのない答え」「穴のないロジック」「面白くない」です。ロジカルシンキング、合理性、論理性……こうした点が重要なのはもちろんなのですが、いつのまにか「論理的であれば正しい」「合理的であればすべてが解決する」と思い、論理的に考えた戦略がうまくいかないと「社員の理解不足」「やる気がない」揚げ句の果ては「せっかくの価値を顧客がわかっていない」などと責任転嫁したりします。
ベストセラーになった『国家の品格』で、数学者の藤原正彦氏は「論理だけでは世界が破綻する」として次のように述べておられます。
実際、自分が正論を言っている(と思っている)ときは、相手を見下す態度になりますから、なおさらたちが悪い。前提が間違っているのに、そうした上から目線で滔々(とうとう)と持論を展開する「本当のバカ」って、周りにいませんか? 今でもファンの多い「男はつらいよ」シリーズで、寅さんはそうした人たちに向かって「お前、さしずめインテリだな」なんてことを言います。
プラニングとシンキングの違い
実はこうした点は、欧米の学者や経営者からも指摘されてきました。マギル大学のミンツバーグ教授は「戦略プランニング」と「戦略思考(シンキング)」を多くの企業では間違えていると、これも20年以上前(1994年)から強調しています。
「戦略プランニング」は、(すでに存在する過去のデータや部門の)分析(analysis)であるのに対し、「戦略思考」の本質はそうしたデータはもちろん、経営者がこれまでにしてきた経験や自らの考えをフルに使って新たな洞察を生み出す統合(synthesis)にある。そして、その「戦略思考」が最も必要とされるのは新たな事業を生み出す時である。戦略思考を通じて生まれた戦略にコミットし、実行を通じて新たな情報を学習し、戦略をさらに進化させる継続的なプロセスこそが戦略経営なのだ、と。
2008年4月に同じくハーバードビジネスレビューに書かれた、ハーバードのシンシナ・モンゴメリー教授の論文「Leadership back in strategy」(邦題「戦略の核心」)で同じようなポイントが指摘されています。
戦略は大局的な目的から遠く離れ、競争ゲームの計画に矮小(わいしょう)化されてしまった。
内田和成氏はベストセラー『仮説思考』で「課題を分析して答えを出すのではなく、まず答えを出し、それを分析する」と指摘されています。内田氏は「良い仮説は経験に裏打ちされた直感から生まれるのだ」と言い、この点は、同じく元コンサルタントの大前研一氏がベストセラー&ロングセラーの『企業参謀』の冒頭で強調する「非線形思考の重要性」と共通するところがあります。「冷徹な分析と人間の経験や勘、思考力を、もっとも有効に組み合わせた思考形態こそ、どのような新しい困難な事態に直面しても、人間の力で可能なベストの解答を出して突破していく方法だと思う」というのが大前氏の主張です。
「あ、そうか!」を見つけることの重要性
ジャック・ウェルチがGEの最高経営責任者(CEO)を退いて最初に出版した本の名前も『Jack: Straight from the Gut』です(本来は『直感の経営』とでも訳すべきなのですが、日本経済新聞社から出版された日本語版では『わが経営』となっています。直感、勘というのはあまり読者に受けが良くないと考えたのかもしれません)。さらにウェルチはその続編『Winning』で「あ、そうか!(aha!)」を見つけることの重要性を強調して次のように続けます。
これ以上複雑にしようとしたって、私にはできない。
経営者がよく「自由な発想を」なんておっしゃっていますが、実際にそうした会社で「自由派発想」で若手が提案したりすると「バカじゃないのか」「常識知らず」なんて言われたりします。しかし、若者はそこで「しゅん」としてはいけないのです。吉原先生が強調されるように「バカ」と言われたら「しめしめ」と思ってみましょう。そこに差別化のカギがあるかもしれません。
ただ、トルストイの言うように、賢い人は同じように賢いですが、「バカ」と言われる理由は千差万別なので、「バカ」と言われさえすればよいものではないことを付け加えておきます。
慶応義塾大学大学院経営管理研究科(ビジネス・スクール)教授
1986年東京大学法学部卒、94年ダートマス大学エイモス・タックスクール経営学修士(MBA)、コーポレイトディレクション(プリンシプルコンサルタント)を経て、2000年テキサスA&M大学経営学博士(Ph.D.)。同年テキサス大学サンアントニオ校助教授、06年准教授(テニュア取得)。10年から現職。近著に「実行と責任」「戦略と実行」(日経BP社)などがある。
この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。
[日経Bizアカデミー2016年3月15日付]