日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。 日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。

よりよい社会をつくる会社と人と

与えられたチャンスにチャレンジしてステップアップを重ねてきた

 振り返れば、とても幸せで感謝に堪えないことだと思う。こじつけではない。自然体で向き合ってきた。38年の人生がつづられたページの所々には付箋がつけられている。その節目となる時々でチャンスが与えられ、自分なりのチャレンジをすることができた。その結果、ステップアップを重ねてきた今がある。

 オムロンの市原路代さんは現在、インダストリアルオートメーションビジネスカンパニー(IAB)の商品事業部に在籍し、コントローラー事業部で基幹商品を統括するプロダクトマネージャー(PM)である。扱う商品は自動車工場や食品・飲料メーカーなどでの生産設備の自動化に役立ち、生産現場の品質や安全に貢献しているキーコンポーネントだ。

■ぶれないかっこよさと開発者としての誇り

 小学生の頃から算数や理科は得意な方だったという。高校は迷いなく理数科に進んだ。小学校当時は学校の先生になることを夢見た。その理由がちょっとふるっている。先生が赤ペンをもって答案用紙を採点している。「丸、丸、丸、百点!」そう書く姿を「すごいかっこいい!」と感じたのだ。市原さんは「あほらしい話ですが」と、はにかみながら顔を両手で覆い笑ったが、この「かっこよさ」の原体験こそが、市原さんを開発者・技術者へといざなうバックボーンとなる。大学で情報工学を志したのも「カタカタカタ……」と、キーボードをブラインドタッチで操作する「かっこよさ」だった。就職活動を始めた時、オムロンという社名は知っていたが、体温計や血圧計などヘルスケアのイメージを抱いていたという。

開発部門だけでなく様々な関係部署との打ち合わせをこなす

 「社会になくてはならないシステムにかかわる仕事がしたい」。そう思い描いていた市原さんにとって、オムロンとの出会いは必然だったのかもしれない。1999年4月にオムロンのグループ会社の一つで、システム・ソフトウエアの開発・販売を行うオムロンソフトウェアに入社すると、交通管制システムを開発する部署に配属された。道路に設置されたセンサーのデータを元に渋滞情報を作成して、ドライバーに提供するシステムを開発する仕事だ。偶然と思えないのは、オムロンの社憲「われわれの働きで、われわれの生活を向上し、よりよい社会をつくりましょう」に触れたとき。「よりよい社会をつくる」の文言が「社会に役立つシステムに携わりたい」私信と合致していることに驚き、確信を深めたからでもあった。

 

 スマートフォンやパソコンなど、はやりの商品をつくる仕事もかっこいいと思う。半面、鉄道や道路やエネルギーなど、世の中を動かしている社会システムが存在する。誰もが知っていて、しかもたくさんの人が恩恵を受けているこうしたシステムを、実は自分が開発しているというひそかな誇り。「それって、すごくかっこいいと思いませんか」。これがソフトウエア開発者としての市原さんのモチベーションの源となっていった。

■世の中を支える力の原点とつながる

オートメーションによる技術革新で世界の人々を豊かにするために働く

 入社6年目に、一つの転機が訪れる。オムロンソフトウェアからオムロンに転籍し、オムロンの技術を統括する技術本部に配属となったときだ。ソフトウエア開発者として目の前の仕事に得意がっていた日々と明らかに違ったのは、人前で話す機会が増えたこと。大勢の前で商品技術の説明をしながら意見を述べなければならない。プレゼンは苦手だという意識も強く、これまでの経験もほとんどない。大学院を出てゼミなどでプレゼン慣れしてきたであろう後輩たちがうらやましく見えるときもあった。「チャレンジとか、乗り越えるとか、そんな表現がふさわしいのかと悩むくらい、私にとってはすごくしんどかった」と述懐する。

 それでも何度もダメ出しされるプレゼン資料の作り直し、的を射ない説明、質問へのちぐはぐな回答……を繰り返す中から、まず自分の考えを整理してそしゃくし、それを簡潔にまとめることを心がけ、説明する声のトーンにも気を配り始めたという。「人前で話すのは今でも緊張します。緊張しない人っているんですかね」と言う市原さんだが、最後は「分からないところは『分かりません』と答える!」という、曖昧なままに終わらせない正直さと割り切りが、プロジェクトを前進させるプロセスになると信じ、実践している。

 これまでソフトウエア開発者として歩んでいた市原さんに、12年のある日「プロジェクトリーダーをやらないか」との声がかかった。IABの中核商品を担うコントローラー事業部で、ある商品を担当していた頃だ。「私、向いていないと思います」。プロジェクトリーダーはチームリーダーと違い、開発部署だけでなく、関係・連携する部署との調整が重要になる。そこに自分は踏み出せるのか。不安と迷いが交錯した。幸い、気軽に相談できる上司だったこともあり、1対1の面談で素直な気持ちを述べたところ、到達すべきゴールに向けて、チームを引っ張っていこうとする姿勢がリーダーの役割に向いていると評価してくれた。見守ってくれている上司への信頼もあり、やってみようと気持ちを整理できたと振り返る。

 15年4月からはPMとして、守備範囲が従来の開発メーンから企画や収益も考える分野に広がった。プロジェクトリーダーのときよりも、かかわる部署をはじめ、説明や調整をしなければならない人数も何倍にもなった。虫の目や魚の目で仕事をしてきた自分に、新たに鳥の目のような全体を俯瞰(ふかん)する視点が求められているようだ。このインタビューを受けた前日も、40人ほどの関係者を前に、新規商品の事業化を進める案件の承諾を得たばかりだったという。最近は朝、まず日本との時差が大きい米欧の関係先から届いたメールの確認を終えると、関係部署との打ち合わせに追われる。既存商品をバージョンアップしたり、販促のためのコンテンツを作成したり、営業部門に商品知識を身に付けるための訓練をしたり。さらに営業部門から寄せられる商品への問い合わせにも応じる。売り上げ目標達成に向けての定期的な情報交換の合間には、専門分野の技術動向にも目を配る毎日だ。そんな時間の流れの中で、ふと気づいたことがある。「オートメーションでモノづくりを革新し、世界中の人々を豊かにする」という、IABが掲げるビジョンだ。目の前の開発に没頭していたときにはピンとこなかったが、PMになって自分の商品がどんなところに使われて、どう役立っているのか。そうしたことを考える機会が増えたとき、このビジョンが浮かんでくるのだ。IABは装置の進化を支えている黒子だ。ただ商品という箱をつくっているのではない。商品の開発を支えているのだ。そう考えがまとまったとき、今更ながらビジョンがふに落ち、自分のものになったという。入社した頃ははっきりと意識できた社会インフラを支える仕事が、部署を転々としていくなかで、見えにくくなるときもあったが、やっぱり、この会社がやっていることと自分の初心は重なっていることを再発見したという。

 市原さんには宝物のように大切にしている言葉がある。ある一つのプロジェクトが無事に終わり、関係者にお礼のメールを出した。「おめでとう」の返信がきた。「たくさんの協力を得てここまで来ることができました」と感想を述べた。その次にもらった文言がそれだ。「人はがんばってる人を応援するんだと思う」と。ああ、そうか。自分もがんばっている人を積極的に支えたいし、そうなれるようにがんばりたい。その気持ちが自分を支え続けてくれる限り、会社を支え、社会インフラを支え、世の中を支えることにつながっているのだと信じている。

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